2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧
『熱海土産』 は、大正14年に発表された短編小説。 にわかに思い立って、熱海の方へ行く娘を送るために家を出たのは七月の下旬であった。池袋のKさんは熱海の方に知る人があって、一週間か二週間ばかり暑さを避けに行くついでに、私の家の末子をも一緒に連…
男やもめの父さんに育てられた末娘の袖子は数え十五歳。ちょっと前までは人形遊びに夢中になっていた少女である。 娘の風俗(なり)はなるべく清楚に。その自分の好みから父さんは割り出して、袖子の着る物でも、持ち物でも、すべて自分で見立ててやった。そ…
東京の病院院長の娘、実子は病気がちな体の保養を兼ねて、信州松本近郊の山辺温泉を訪れる。松本で教師をしている友人二人と合流し、女三人の温泉旅である。 …………実子はめずらしい食慾をも覚えて、宿の茶碗に三つもかえるようになった。小さな茶碗でせいぜい…
期日前投票が市役所庁舎ビルで行われていたので、車で出かけた。 土曜日の庁舎で開いているのは投票所と図書館だけのはずだが、駐車場が満車でしばらく並んだ。近くのバス停からは下車した乗客がぞろぞろと庁舎へ向かって歩いて行く。投票所のあるフロアは廊…
信州海の口村は馬の産地である。 皇族殿下の行啓を記念して、野辺山が原では競馬の催しが開かれ、四千人の群衆、三百頭余の馬が集まった。 主人公の源は馬主と騎手を兼ねている。スタートの合図がなる。 合図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れ…
絶対に、ケチをつけてはいけない料理。それは、年配の女性が煮た黒豆。そしてもう一つは、男が作るカレーです。 黒豆もカレーも、作った本人にとっては、ほとんどアイデンティティーのような役割を果たしていることが多いものです。たとえピンとこない味であ…
主人公おげんは以前より精神を病んでいる。彼女の夫は十年におよぶ遊蕩と放浪の後、帰郷したが間もなく死んだ。一人息子も遊蕩の末死んだ。四十歳になる娘お新には知的障害があり、独身のままである。 おげんは六十歳にして婚家を出ようと思い立った。彼女は…
『ふるさと』 は 『幼きものに 海のみやげ』 に続く島崎藤村の童話集(大正9年発表)。本書を著した当時の藤村一家の事情が、序文に書かれているので引用してみたい。 早いものですね。あの本*1を作った時から、三年の月日がたちます。太郎は十六歳、次郎は…
仕事から帰ってくると、まず和室へあがってスーツを脱ぎ、Tシャツと短パンに着替える。脱いだワイシャツや下着をまとめ、明朝着る服と下着を揃えておく。一服するのはそれからである。 ふと足元を見ると、猫のケイがズボンのベルトを相手に何かやっている。…
海と毒薬 (新潮文庫)作者: 遠藤周作出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1960/07/15メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 79回この商品を含むブログ (161件) を見る 考えがまとまらないので、箇条書きにしてみる。 前半 「第一部 海と毒薬」 の緊張感に満ちた展開…
太平洋戦争末期。F市の大学病院では学部長が急死し、教授たちの間では後継の地位を争う政治的な駆け引きが始まっていた。 この病院で肺結核患者の手術が行われる。執刀医は 《おやじ》 こと橋本教授。患者は前学部長の親類の若い夫人である。 いずれは必要…
孫引きはなぜいけないのか - 蟹亭奇譚 初期の著作『ヘーゲル法哲学批判序論』に「宗教は、逆境に悩める者のため息であり(中略)、それは民衆の阿片である。」とあるが、この文章は、ドイツの詩人でマルクスの親友でもあるハインリッヒ・ハイネの1840年の著…
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090820/1250785871 よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。 活字中毒Rの記事ってのはこれな。こいつを起点に議論だかなんだか知らんものがはてな界隈で進んでいくうち、いったい元のエッセイに…
室生犀星 『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』(講談社文芸文庫) 夢野久作 『少女地獄』(角川文庫) 向田邦子 『思い出トランプ』(新潮文庫) ボルヘス 『伝奇集』(岩波文庫) 『蜜のあわれ』 は金魚がヒロインというポニョっぽい小説らしい。…
《私》 と近所のガソリン・スタンドの主人(マスター)が銭湯で体を洗っている。主人の右腕のつけ根には火傷の痕がある。戦時中に中国人の迫撃砲に撃たれたのだと、彼は言う。 彼は頭にシャボンをつけて、こちらに顔をむけた。はじめて私の白い痩せた胸や細…
稲見一良 - Wikipedia 稲見一良(1931-1994)は1980年代なかばに肝臓癌に冒されてから、小説を書き始めた作家である。(それ以前は放送作家だったらしいのだが詳細不明。)彼は89年に本を出版してから94年に没するまでの短い期間に、わずか数冊の作品集を遺…
太郎も、次郎も、母さんを覚えていますか。 「母さんは、どんな人だっけかなあ。」 と太郎が首をかしげました。太郎は母さんのことを、はっきりとは思い出せないようでした。 「ぼくも、よく覚えていない。」 と次郎も申しました。 お前たちには、太郎の上に…
島崎藤村は大正2〜5年、フランスに滞在する。妻冬子の死後、姪こま子を妊娠させてしまい、その関係を清算するためであった。(帰国後、再び姪と関係するのだが、それは別の話。) 『幼きものに 海のみやげ』 は大正6年に発表された童話集。船でアジアからス…
子煩悩お盆 - 窪橋パラボラ kubohashi さんご夫妻同様、僕にも新婚時代があり、同じような経験をしている。 僕の妻は地元出身だが、妻の両親は東北(福島と宮城)の出身者である。僕には「田舎」というものがなく、盆暮れに帰省するという習慣がなかったのだ…
よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。 先日、ネタっぽく書いたのに、まだなんだかモヤモヤするので、よしもとばななのエッセイ集 『人生の旅をゆく』(幻冬舎文庫) を立ち読みしてみた。本書に収録されている「すいか」とい…
幸い、直子の怪我はひどくはなかった。しかし、彼女の心の傷は深く、謙作もまた自身を持て余している。 彼は妻に別居を申し出る。鳥取の大山(だいせん)の麓にある禅寺でしばらく修行の心積もりである。 「……なまじ都の風が吹いて来て、里心がついては面白…
謙作は大山の麓にある禅寺に滞在している。前篇の頃とは様子が違っているものの、《不愉快》 が時々顔を出すようになり、近所の坊主とつまらない喧嘩をしたり、おかしな夢を見たり、人類滅亡について空想したりしている。一言でいえば狂っているということに…
結婚後の謙作の家に、立て続けに事件が起こる。妻直子は妊娠し男の子を産むが間もなく病死する。天津に行ったお栄は泥棒に入られて全てを失い帰国して、なぜか謙作たちと同居することになる。謙作がお栄を迎えに行っている間に、直子は彼女の従兄に強姦され…
居酒屋 (新潮文庫)作者: ゾラ,古賀照一出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1971/01/01メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 57回この商品を含むブログ (23件) を見る 【あらすじ】 主人公ジェルヴェーズは愛人ランチエとともにパリで居酒屋を営んでいる。 貧困な…
黄色の帯があまりにも強烈なので、つい買ってしまったよ。昭和五十一年十月十日 初版。
謙作は京都に一人住むが、近所の家の軒先で見かけた女性に一目惚れする。東京でずっと同居していたお栄は、怪しげな親戚の女とともに中国は天津へ働きに行ってしまったところだ。彼はまたしても兄に相談し、あれこれ画策の上、見初めた女性直子に接近する。…
謙作の参ったり元気になったりは前篇の終わりまで続く。自分が不義の子であったこと、理想の女性であった亡き母が過ちを犯していたこと、厳格な父が母を許していたこと、自分が惚れたお栄が祖父(実は父親である)の妾であること、さらに自身が祖父の淫蕩の…
謙作は子供の頃から同居している祖父の妾お栄に惚れてしまい、兄を通じて結婚を申し込む。お栄は謙作よりも二十近く年上の女である。 兄からの手紙には(当然のように)お栄が断ったこと、さらに、謙作は祖父と母との間に生まれた不義の子であったことが書か…
蟹の歌浪うち寄する磯際の 一つの穴に蟹二つ 鳥は鳥とし並び飛び 蟹は蟹とし棲めるかな日毎の宿のいとなみは 乾く間もなき砂の上 潮引く毎に顕(あらは)れて 潮満つ毎に隠れけりやがて天雲驚きて 落ちて風雨(あらし)となりぬれば 流るる砂と諸共に 二つの…
「事務長さん、金ン比羅さんのお山はどれですかいな」 「あれで厶(ござ)ります」 先刻蓄音器を持って来た金筋を腕に巻いた男が指さして答えた。 「あれが、その、象の頭(かしら)に似とると云うので、それで象頭山(ぞうずさん)、金ン比羅、大権現、です…