よしもとばななの《私》と《私たち》

よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。
 先日、ネタっぽく書いたのに、まだなんだかモヤモヤするので、よしもとばななのエッセイ集 『人生の旅をゆく』(幻冬舎文庫) を立ち読みしてみた。本書に収録されている「すいか」という題名の文章の一部が、「居酒屋事件」 として引用されているのである。
 全体を荒っぽく要約してみよう。なお、よしもとの主張そのものの是非はここでは問わないことにしたい。

  1. 高知の人々は他人の善を信じて融通を利かせる。
  2. それに比べて東京の人間は……というところで、例の居酒屋のエピソード。
  3. 続いて、セールス電話をかけてきた人の「死んだような声」のエピソード(こちらはhttp://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20090815に引用されている)。
  4. 最後に、高知を旅行したとき、無人市場で買ったすいかをホテルに持ち込み、食事のときに切って出してもらうよう頼んだら、(最初は嫌な顔をされたが)融通を利かして出してもらえた話。さらに残ったすいかを次に泊った宿でも出してもらった話。

 気になることがあった。精読したわけではないのだが、上記 3 以外に 《私》 が出てこないのである。特に力点が置かれていると思われる 2 と 4 に出てくるのは 《私たち》。複数形なのだ。これはどういうことなのか?
 元々、よしもとばななのエッセイや日記には、《私》 という語がほとんど使われていない。これは自分の身辺のことを書いているのだから、主語が省略されているのだと解釈すれば、決して珍しいことではないだろう。しかし、もう一度、「居酒屋事件」 を読み返すと、「そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。」までの箇所で、複数形の 《私たち》 が何度も用いられているにも関らず、単数形の 《私》 が見事にその存在を消していることがわかる。
 「お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談した」 のは誰か? コルク用の栓抜きを借りてきたのは誰か? (「友だちの店から借りてきた」とあるが、その友だちはメンバーの一人なのか?)店長に向かって「事情を言った」のは誰か? ――そんなの誰でもいいじゃないか、と言いたいのかもしれないが、ここにはメンバーの A さんや B さんではなく、まして「いっしょにいた三十四歳の男の子」でもなく、《私たち》 しか存在していないかのようである。
 人間は集団で行動すると、一人のときに比べて、羽目を外すことが多いものだ。まして、酒の席であったり、旅行先であったりすれば、気持が大きくなるだろう。そういうことは、僕だってよく経験するわけだし、別段変ったことではない。しかし、集団でのそういった行動を 《私たち》 という文体で表現するとなると、ちょっと異様な印象を与えるようになる気がする。誰がせこいことを考えついたのか、誰が店の人と交渉したのか、さっぱりわからないというのは、責任の所在がはっきりしないということでもある。また、今般のブログ界隈の騒動のように、第三者から行動を批判されたときに、被るダメージが分散して、痛くもかゆくもなくなる、ということも容易に考えられる。これが 《私》 一人の場面だったら、同じように行動しただろうか。同じ主張を文章化しただろうか。《私たち》 というありかたは、上手いようなずるいような感じがするのである。(ついでに言うと、よしもとばななウェブ日記には、数人のグループでの行動を綴ったものが非常に多く、グループ外との交渉事の場面では「グループ対部外者」という構図になる傾向があるようだ。2009年8月4日の日記参照。)


 僕が好きな連載ウェブ・コラムに、「男の勘違い、女のすれ違い」というのがある。著者の遙洋子は孤軍奮闘の人である。仕事やプライベートで遭遇した様々なトラブルについて、独自の意見を書き続けているのだが、彼女の立場は常に 《私》 である。実務に長けたマネージャーが近くにいれば解決しそうな問題であっても、彼女は 《私》 を常に前面に出し、世の中と戦っている。
 遙洋子は孤高なのだ。いつも誰かとつるんでいる(ように見える)よしもとばななとは正反対だが、遙洋子の潔ささえ感じさせる戦いっぷりのほうが、好感が持てるのである。


人生の旅をゆく (幻冬舎文庫)

人生の旅をゆく (幻冬舎文庫)