満腹時の呪文

子煩悩お盆 - 窪橋パラボラ
 kubohashi さんご夫妻同様、僕にも新婚時代があり、同じような経験をしている。
 僕の妻は地元出身だが、妻の両親は東北(福島と宮城)の出身者である。僕には「田舎」というものがなく、盆暮れに帰省するという習慣がなかったのだけれど、ついにあこがれの帰省体験をするときが来たのだ。妻と幼い息子を小さな車に乗せ、渋滞する首都高と東北道を数時間かけて走れば、田園風景が広がり、彼方に磐梯山が聳える桃源郷へ到着する。庭の畑にはおばあちゃんが丹精をこめて育てた真っ赤なトマトがたわわに実っている。息子は早速、とんぼを追い掛け回している。
 のどかだなあ……。

 だが、悲劇は夕食時に起きた。

 農家の食べ物はおいしい。さっき、畑で取ってきたばかりの野菜が食卓に並んでいる。元来、好き嫌いがなく、食べることを生きがいとする僕にとって、これは夢の晩餐であった。大家族なので、大皿で振舞われる家庭料理というのも、この時、初めて食べたような気がする。
 しかし、出される量が極端に多いのだ。
 遠慮はしないけれども、必要以上には食べない、そして残さない主義の僕にとって、これは苦痛以外の何物でもなかった。だいたい、最初にビールを飲んでいて、あとからご飯を3杯もおかわりするか?  具だくさんの味噌汁をおかわりするか?  いくらおいしいといっても、このおかずの品数と量はどうだ?

「もう結構です」
「そんなに食べられませんよ」
「おなかが苦しくて」
「本当に勘弁してください」
「うわーー」
 終いには叫んでみたところで、「もっと食べろ」攻撃は続く。
 敵軍の指揮を執っている従姉妹は、自分の子供たちにも「あんたたちも食べなさい」と勧めている。長女は「もうたくさん。ごちそうさま」と言って、片付けを始める。
 後に残されたのは、酒を飲み続けるこの家の亭主と顔面蒼白の僕だけとなった。まるで、熱血教師と給食が食べきれずに泣きべそをかく生徒の図である。
「もう・・・たくさんです」
「あ、そう」
 従姉妹は突然、皿を下げ始めた。
 あれ?

 「もうたくさん」という言葉が、食事を終了させる合言葉だったのである。
 どうやら、親戚一同全員がこの呪文を用いているようだ。そういえば、義父は普段からこの言葉を口にしていた。
 この地に住まう人々が全部、「もうたくさん」と言うのかどうか知らないが、後から何人かの東北出身者に尋ねてみたところ、「そういえば、そう言うかもしれない」とのことであった。

 「もうたくさん」自体は方言ではない。おそらく日本国中どこへ行っても通じる言葉だと思う。しかし、呪文を唱えるまで延々と食事が終わらないなんて、そんなことは誰も教えてはくれないのだし、親戚一同だって、気がつかないのである。ささやかなカルチャーショックの一コマなのであった。

 一旦、事情を飲み込んでしまえば、こちらのものである。翌日以降の食事は、真に平穏に終始した。一緒になって大量に作るずんだもちだって、一個味わえば、僕は満足なのだ。
 爾来、僕が好んで東北の地を訪れることになったのは言うまでもない。