島崎藤村 『熱海土産』

 『熱海土産』 は、大正14年に発表された短編小説。

 にわかに思い立って、熱海の方へ行く娘を送るために家を出たのは七月の下旬であった。池袋のKさんは熱海の方に知る人があって、一週間か二週間ばかり暑さを避けに行くついでに、私の家の末子をも一緒に連れて行こうと言ってくれた。……(中略)……このKさんも伊豆の旅は初めてだという婦人のことであり、末子も船には弱し、せめて熱海行の汽船の出るところまではと見送ろうとした。早川まで行けば、そこにはKさんの知人が出迎えに来ているという話もあったからで。


 島崎藤村 『熱海土産』

 《私》 が連れて行ったのではない。あくまでも見送りに途中まで行ったのだ、と書かれている。だが、ちょっとしたきっかけから、《私》 は熱海行きの船に乗ってしまう。仕方なく、娘たちとは別に、近くに宿をとり一泊して帰ってくる。
 その一週間後。

 一週間ばかり後には私は末子を迎えに行くつもりで、もう一度熱海の方へ出掛けようとした。留守居するものにこの暑い思いをさせて、自分ばかりそれを避けに行くということは、本位でもなかったが、しかし私はもっともっと確実にこの身の健康を恢復しなければならないと思った。

 そして、そのまま数日を熱海で過ごすことになる。
 これだけを読めば、ただの子煩悩、親ばか父さんの話である。「留守居するもの」 というのは十七八の息子たちなのだから、妹の迎えくらいは頼めそうなものだし、父親がのこのこと出かけるまでもないだろう。それに、健康回復というのも言い訳じみている。
 だが、途中まで読んでふと気付く。「池袋のKさん」 とは加藤静子ではないか。(この説を裏付ける文献が見当たらないのだけれど、どうもそうとしか思えないのだ。)というより、Kさんは後に藤村が再婚する相手の加藤静子だと考えて読まないと、わけがわからない作品なので、以下そのように読んでみることにする。

 末子にとって、Kさんは父の仕事の手伝いに出入りしている 《文学のお姉さん》 である。あこがれの美人のお姉さんに連れられて、熱海に遊びに行ったのに、なんだか父親がついてきて、近くをうろうろしている。みんなで海水浴に行ったときも、父が遠くから見張っているようで微妙だ。
 《私》 とKさんの間柄はまだそんなに深いものではなかったかもしれない。少なくとも公然の男女関係ではなかっただろう。しかし、勘の良い女の子だったら、そういうことには気付いていたはずだ。なんとなく落ち着いて遊んでいられないではないか。それに、Kさんにしたって、気を使わずにはいられないだろう。
 結局、35ページもある小説のほとんどは 《私》 の行動ばかりが書かれていて、末子とKさんのセリフはごくわずかしか出てこない。その場にいるはずの 《私》 の存在を完全に消し去った 『三人』 とは対照的な作品なのであった。

 なお、藤村は、××土産という題名のついた作品をほかにも書いている。
 『山陰土産』(昭和2年)は、次男鶏二を連れて行ったときのもの。
 『伊香保土産』(昭和11年)は、静子夫人同伴で旅行したときのもの。(旅館の飯がまずいと書いている。)