島崎藤村 『芽生』

 『芽生』 は明治42年に発表された短編小説。*1
 執筆時期は、明治43〜44年に発表された長編 『家(上・下)』 の直前にあたり、内容も 『家』 と重複する部分の多い作者の自伝的小説である。
島崎藤村 『家 (下巻)』 - 蟹亭奇譚
 作中に描かれる年代は明治37〜39年頃。当時の藤村周辺の年譜については、上記リンク先記事にまとめたので参照されたい。
 藤村にとってのこの時期の大きな出来事は、(1) 『破戒』 の執筆と刊行、(2) 小諸から東京への転居、(3) 三人の娘の死(三女、次女、長女の順に病死)、である。このうち、東京転居直後の生活と、三女と次女の死については、『家』 にはほとんど書かれず、上巻と下巻の間に起った出来事としてわずかに回想されるのみであり、長編小説からカットされたこれらのエピソードが、本作の中心となっている。


島崎藤村の長女緑。
「みどり(七歳)大学小児科病院にて撮影」三十九年六月十二日没と自筆裏書き


 『新潮日本文学アルバム 島崎藤村』 (新潮社) より

 小説の内容はまことに痛ましいものであり、とかく家族の死を描くことの多い藤村作品の中でも格別悲しみの度合いが強い。また、『春』、『家』、『新生』 などの長編小説と違って、《私》 の一人称形式で書かれているのが特徴で、『家』 と同じエピソードであっても、かなり主観的に描かれているように感じられる。
 もっとも、主観の度が強すぎて、《私》 が出来事を受け止めきれず、感情を抑えられないまま、尻切れとんぼで終わってしまうため、小説としての完成度は決して高くはない。だが、藤村は自己の持つネガティブな感情を小説という形で吐き出すことによって、次へと進んでいくタイプの作家なので、前年の 『春』 から翌年の 『家』 へ至る一つのステップとして、この作品を書かざるを得なかったのではないかと思う。

*1:現在絶版だが、文庫化されているので、古書店でわりとよく見かける。僕が持っているのは戦前の岩波文庫 『生ひ立ちの記』 と戦後の新潮文庫 『旧主人・芽生』 の2冊に収録されているもの。