島崎藤村 『新生 後編』

新生 (後編) (岩波文庫)

新生 (後編) (岩波文庫)

 島崎藤村 『家 (下巻)』 - 蟹亭奇譚 に書いた年譜の続き。*1

  • 大正2年(1913)
    • 3月、浅草新片町より芝二本榎へ転居。
    • 4月、神戸よりフランスへ出発。スエズ運河経由で37日かかる。パリ、ポール・ロワイアルの下宿に住む。
    • 藤村が渡欧した後、芝の借家に住んだのは、藤村の長男と二男。藤村の次兄広助と妻あさ、あさの母、広助の次女こま子と長男。
    • こま子出産。同時期に、こま子の母あさが、次男を出産している。
  • 大正3年(1914)
    • 7月28日、第一次世界大戦勃発。
    • 8月、戦禍を避けて、フランス中部リモージュ疎開
    • 11月、パリへ戻る。
    • 3月より、『桜の実の熟する時』 を雑誌掲載。原稿を運ぶ船が沈没したため、中絶したといわれる。完結したのは帰国後の大正7年
  • 大正4年(1915)
    • 1月、紀行文集 『平和の巴里』 刊行。前年にドビュッシーの演奏を聴いた話などが書かれている。
    • 12月、紀行文集 『戦争と巴里』 刊行。
  • 大正5年(1916)
    • 4月、パリ出発。ロンドンより喜望峰経由で帰国。50日かかる。
    • 芝の借家で、次兄広助家族と同居。総勢9人の大家族となる。
  • 大正6年(1917)
    • 4月、童話集 『幼きものに 海のみやげ』 刊行。いくつかのエピソードが 『新生』 と重なっている。
    • 6月、芝桜川町の下宿へ転居。この頃、こま子との関係が復活した。
  • 大正7年(1918)
    • 4月、こま子の母あさ死去。
    • 5〜10月、『新生 前編』 を朝日新聞に連載。次兄広助と義絶。
    • 10月、麻布飯倉片町へ転居。
    • 11月、こま子、台湾に住む藤村の長兄秀雄のもとへ出発。
  • 大正8年
    • 1月、『桜の実の熟する時』、『新生 前編』 を同時刊行。
    • 4〜10月、『新生 後編』 を朝日新聞に連載。
    • 12月、『新生 後編』 刊行。

 『新生 後編』 は帰国直前のあたりから、大正7年に姪(小説では節子)が台湾へ出発する時期までの出来事が書かれている。
 『新生』 は前編完結から後編執筆開始まで、半年空いている。前編を新聞連載した段階で、姪こま子との情事を世間に公表しており、そのことが原因で次兄と義絶しているのだが、そのあたりのことは後編で触れられているはずだ。
 なお、藤村の次兄広助(小説では義雄)は、幼い頃に母方の伯父の養子になっており、藤村と一緒に暮したのは大正になってからのことと思われる。伯父が同姓であるため、広助もまた島崎姓である。(ややこしいのだけど。)

*1:参考文献 - 『新生 後編』(岩波文庫) 猪野謙二による巻末解説。その他。