島崎藤村と子供たちのその後

 島崎藤村は 『分配』 を最後に子供たちの登場する小説を書かなくなってしまったので、各種年譜を頼りに彼らのその後を辿ってみたい。*1

  • 島崎藤村
    • 昭和3年加藤静子と結婚。
    • 昭和3〜10年、『夜明け前』 執筆。
    • 昭和17〜18年、『東方の門』(未完) 執筆。
    • 昭和18年8月21日、『東方の門』 執筆中に倒れ、翌日永眠。(絶筆の原稿は本当に文章の途中で終わっている。)
    • 最期の言葉は 「涼しい風だね」 であったと言われる。
  • 楠雄(長男)
  • 鶏二(次男)
    • 大正15年、木曾にて農業を手伝いながら、美術を学ぶ。
    • 昭和初期より洋画家として活躍。同時に父藤村の秘書を勤めている。
    • 昭和19年、戦死。
  • 蓊助(三男)
    • 昭和初期より洋画家として活躍。プロレタリア運動に関っている。
    • 戦後は、父藤村の遺した資料・文献の整理に尽力した。
    • 馬籠の藤村記念館の入口に飾られている 「年譜」 の原稿は、彼が著したものである。*2
    • 平成4年没。
  • 柳子(四女)
    • 昭和10年、結婚。長野県南佐久郡臼田町へ嫁ぐ。
    • 母冬子にそっくりで、娘時代の写真を見ると、どちらが娘か区別がつかないほどである。

*1:参考文献:『日本文学全集8 島崎藤村集』(河出書房)、『新潮日本文学アルバム 島崎藤村』(新潮社)など。ほかに藤村記念館の展示物に基づく。

*2:「年譜」 は長さ九尺の檜板3枚におよぶ大作で、全集本で8ページの分量がある。蓊助の原稿を兄楠雄が墨書し、僧石原宗純氏が一字一画ノミで刻んだ芸術作品である。