島崎藤村 『ある女の生涯』

 主人公おげんは以前より精神を病んでいる。彼女の夫は十年におよぶ遊蕩と放浪の後、帰郷したが間もなく死んだ。一人息子も遊蕩の末死んだ。四十歳になる娘お新には知的障害があり、独身のままである。
 おげんは六十歳にして婚家を出ようと思い立った。彼女はまず自らの病の療治のため、お新と婆や、それに甥っ子を連れて、知り合いの医者のもとに滞在する。

「桑畠の向うの方が焼けていたで。俺がなあ、真黒に焼けた跡を今見て来たぞい」
 こんなことを三吉が言出すと、お新は思わずその話に釣り込まれたという風で、
「ほんとに、昨日のようにびっくりしたことはない。お母さんがあんな危ないことをするんだもの。炭俵に火なぞをつけて、あんな垣根の方へ投(ほう)ってやるんだもの。わたしは、はらはらして見ていたぞい――ほんとだぞい」
 お新はもう眼に一ぱい涙を溜(た)めていた。その力を籠(こ)めた言葉には年老いた母親を思うあわれさがあった。
「昨日は俺も見ていた。そうしたら、おばあさんがここのお医者さまに叱られているのさ」
 この三吉の子供らしい調子はお新をも婆やをも笑わせた。
「三吉や、その話はもうしないでおくれ」とおげんが言出した。「このおばあさんが悪かった。俺も馬鹿な――大方、気の迷いだらずが――昨日は恐ろしいものが俺の方へ責めて来るぢゃないかよ。汽車に乗ると、そいつが俺に随(つ)いて来て、ここの蜂谷さんの家の垣根の隅(すみ)にまで隠れて俺の方を狙ってる。さあ、責めるなら責めて来いッって、俺も堪らんから火のついた炭俵を投げつけてやったよ。もうあんな恐ろしいものは居ないから、安心しよや。もうもう大丈夫だ。ゆうべは俺もよく寝られたし、御霊(みたま)さまは皆を守っていて下さるし、今朝は近頃にない気分が清々(せいせい)とした」


 島崎藤村 『ある女の生涯』

 おげんのモデルである藤村の 《姉》 は、大正9年に東京の精神病院で亡くなった。『ある女の生涯』 はその翌年に発表された短編小説で、彼女の晩年を描いた作品である。
 上記引用箇所は、本作の冒頭に近い場面である。三吉のモデルは藤村の三男であり、童話集 『ふるさと』 の序文で触れられている 《三郎》 と同一人物だ。(三吉という名は 『家』 の主人公と同じである。藤村は息子を小説に登場させながら、作者自身を投影させたのだ、と僕は考えたい。)
 妄想と幻覚に苦しむ未亡人のおげん。そのおげんの世話を受けるお新。洋行の父親から引き離され、親戚のもとで育てられる三吉。ここに登場する3人は、すべて家族や世間から見捨てられた存在なのである。彼らは互いにいたわりあいながら生きている。おげんも二人のことを信頼し、彼らに心を開いている。この場面、しっかり者の婆やも含めて、最高のメンバーだと思う。
 だが、このような平和な場面は長く続かない。周囲の人々は一人ずつ去っていく。おげんは娘と二人の 《最後の「隠れ家」》 を求めて、親類のもとを訪ねるが、どこへ行っても揉め事が起こる。病状は次第に悪化する。最後はだまされて脳病院へ入れられ、ひとり死んで行くのである。

 藤村は 《姉》 を何度も小説に登場させているが、前半生は 『夜明け前』(昭和4〜10年)に、その続きは 『家』(明治43〜44年)に詳しく書かれている。『夜明け前』 の中で、西洋渡来の石鹸を食べ物と間違えて口に入れようとする小さな女の子が出てくる(「はじめてのシャボン」エントリ参照)が、彼女もまた 《姉》 である。
 『ある女の生涯』 は 『家』 のエピローグだと平野謙は述べている*1が、本作はむしろ 『夜明け前』 へと繋がっていく作品ではないだろうか。作中、おげんは何度も父親の幻を見、父親に語りかける。彼女は、同じく狂気のうちに死んだ父親の一番の理解者であった。彼女の父とはもちろん、『夜明け前』 の主人公青山半蔵なのである。

嵐/ある女の生涯 (新潮文庫 し 2-1)

嵐/ある女の生涯 (新潮文庫 し 2-1)

 新潮文庫版 『嵐・ある女の生涯』 は現在一般に流通していないらしいのだが、馬籠の藤村記念館では復刊されたもの(奥付に平成二十年と記載されている)が、販売されている。

*1:新潮文庫 『嵐・ある女の生涯』 巻末解説参照。