お俊の縁談

 小泉家の長兄実は次々と事業を起こそうとするが、どれも失敗し、借財がかさむばかりである。そのくせ長男=家長としてのプライドが強く、妻子や弟たちの前では威張っている。しかし、彼らの生活を支えているのは、今や次兄森彦と三吉の二人なのだ。
 満州へ行って少しは稼いで来い。弟たちは実を追及する。

「そんなトロクサいことじゃ、ダチカン*1」と森彦が言った。「満洲行と定(き)めたら、直ぐに出掛ける位の勇気が無けりゃ」


 島崎藤村 『家 (下巻)』 四

 しかし、隣の部屋では、実の長女お俊が父親たちの会話を聞いている。

 こういう大人同志の無造作な話は、お俊を驚かした。彼女は父の方を見た。父は細かく書いた勘定書を出して叔父達に示した。多年の間森彦の胸にあったことは、一時に口を衝(つ)いて出て来た。この叔父は「兄さん」という言葉を用いていなかった。「お前が」とか、「お前は」とか言った。そして、声を低くして、父の顔色が変るほど今日までの行為(おこない)を責めた。


 島崎藤村 『家 (下巻)』 五

 父が満洲へ旅立った後、お俊に縁談があった。

……未来の夫としてお俊が択(えら)んだ人は、丁度彼女と同じような旧家に生れた壮年(わかもの)であった。ふとしたことから、彼女はその爽快(そうかい)で沈着な人となりを知るように成ったのである。この縁談が、結納を交換(とりかわ)すまでに運ぶには、彼女は一通りならぬ苦心を重ねた。随分長い間かかった。一旦(いったん)談(はなし)が絶えた。復た結ばれた。その間には、叔父達は早くキマリを付けさせようとばかりして、彼女の心を思わないようなことが多かった。「どうでも叔父さん達の宜しいように」こう余儀なく言い放った場合にも、心にはこの縁談の結ばれることを願ったのであった。

 お俊の嫁入りに際しては、森彦と三吉が金を出し合うよう話し合っている。彼らが結婚を急がせようとするのは、家そのものが潰れかかっているからでもあるだろう。
 しかし、そんな折、お俊の妹お鶴が急死する。

……お倉は、遠い旅にある夫、他(よそ)へ嫁(かたづ)く約束の娘、と順に考えて、寝ても寝られないという風であった。心細そうに、お俊の方へ身体を持たせ掛けた。
「鶴ちゃんが死んで了えば、私はもう誰にも掛るものが無い――真実(ほんと)に、一人ぼッち」
「母親さん、そんなことを言うもんじゃ無くってよ」

 それでも結婚に踏み切ったのは、苦渋の選択だったのだ。小泉家には跡取りがいないからである。現代ではちょっと考えにくいのだけれど、明治の結婚というのはそういうものだったのであろう。樋口一葉は同じような理由で結婚をあきらめたそうだが*2明治40年代になり、確実に新しい世代の価値観が育ってきたのである。
 お俊が結婚してから、三吉のもとへ若い夫婦の写った一枚の写真が送られてくる。

「お俊ちゃんの旦那さんは大層好い方だそうですネ」とお雪は豊世と一緒に写真を見ながら、「お俊ちゃんは真実(ほんと)に可羨(うらやま)しい」
「私も可羨しいと思いますわ」と豊世が言った。
「何故、そんなに可羨しいネ」と三吉は二人の顔を見比べた。
「でも仲の好いのが何よりですわ。笑って暮すのが――」とお雪は豊世の方を見て。
「今にお俊ちゃん達も笑ってばかりいられなく成るよ」
 こう言って三吉が笑ったので、二人の女も一緒に成って笑った。


 島崎藤村 『家 (下巻)』 八

 結婚後のお俊はこの写真以外に登場しない。しかし、『家』 の登場人物の中で、最も幸せになったのが彼女ではなかったかと思う。

*1:長野地方の方言で、だめだの意。(新潮文庫 『家 (上巻)』 巻末注より)

*2:樋口一葉は明治5年生まれで、藤村と同い年。生涯独身のまま明治29年に没した。