お種

 夫に女がいる――。女の勘というばかりではなく、以前にもそういうことがあったのだ。三吉の姉お種はこれを「橋本の家に伝わる病気」と呼んでいる。


 『家 (上巻)』 八は場面が変わって、お種が主人公となる。
 お種は早くから精神を病んでいる。娘時代には自殺未遂を起こしたこともあり、精神的に不安定なのだが、彼女は夫に強くすすめられ、伊東温泉に療治に行く。しかし、温泉場まで送るために同行してきたはずの夫は、東京に用があると言って一人汽車を乗り換えてしまう。
 それっきり何ヶ月も音沙汰がないのである。二番目の弟からの手紙によると、夫は借金を重ねた末、家出をしたのだという。
 数ヶ月後、お種のことを心配した息子正太夫婦が伊東を訪ねてくる。正太は家の借金返済のため奔走しているところだ。だが彼は、妻の生家から離縁の話も出ているという。

……午後に、お種は折れ曲った階段を降りて、湯槽の中へ疲れた身(からだ)を投入れた。溢れ流れる温泉、朦朧とした湯気、玻璃窓(ガラスまど)から射し入る光――周囲(あたり)は静かなもので、他に一人の浴客も居なかった。お種は槽(おけ)の縁へ頸窩(ぼんのくぼ)のところを押付けて、萎(しな)びた乳房を温めながら、一時(いっとき)死んだように成っていた。
 窓の外では、温暖(あたたか)い雨の降る音がして来た。その音は遠い往時(むかし)へお種の心を連れて行った。

(中略)

 思いあまって我と我身を傷けようとした娘らしさ、母に見つかって救われた当時の光景(さま)、それからそれへとお種の胸に浮んで来た。
 これ程の思をして橋本へ嫁いて来たお種である。その志は、正太を腹(おなか)に持ち、お仙を腹に持った後までも、変らない積であった。人には言えない彼女の長い病気――実はそれも夫の放蕩の結果であった。彼女は身を食(くわ)れる程の苦痛にも耐えた――夫を愛した――
 ここまで思い続けると、お種は頭脳(あたま)の内部(なか)が錯乱して来て、終(しまい)には何にも考えることが出来なかった。
「ああ、こんなことを思うだけ、私は足りないんだ……私が側に居ないではどんなにか旦那も不自由を成さるだろう……」
 とお種は、濡れた身(からだ)を拭く時に、思い直した。
 湯から上って、着物を着ようとすると、そこに大きな姿見がある。思わずお種はその前に立った。湯気で曇った玻璃(ガラス)の面を拭いてみると、狂死した父そのままの蒼(あお)ざめた姿が映っていた。


 島崎藤村 『家 (上巻)』 八

 読み進めるのがつらいほど衝撃的な展開だが、これが上巻のクライマックスである。
 正太のモデルとなった藤村の甥は、『家 (上巻)』(明治43年5月完結)を書き終えた翌月に亡くなった。下巻には甥の死のことも書かれている。
 また、お種のモデルである藤村の姉は、大正9年に東京の精神病院で亡くなった。大正10年、藤村は姉を主人公にした短編小説 『ある女の生涯』 を著している。