「豊年だ! 豊年だ!」

 謙作の参ったり元気になったりは前篇の終わりまで続く。自分が不義の子であったこと、理想の女性であった亡き母が過ちを犯していたこと、厳格な父が母を許していたこと、自分が惚れたお栄が祖父(実は父親である)の妾であること、さらに自身が祖父の淫蕩の血を引いていること、すべてが 《不愉快》 の種なのである。
 そして謙作は女を買いに行く。前編の結末部分にはこう書かれている。

 彼は然し、女のふっくらとした重味のある乳房を柔かく握ってみて、云いようのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持のいい重さが掌(てのひら)に感ぜられる。それを何と云い現わしていいか分からなかった。
「豊年だ! 豊年だ!」と云った。
 そう云いながら、彼は幾度となくそれを揺振(ゆすぶ)った。何か知れなかった。が、兎に角それは彼の空虚を満たして呉れる、何かしら唯一の貴重な物、その象徴として彼には感ぜられるのであった。


 志賀直哉 『暗夜行路 (前篇)』 第二 十四

 なるほどこれは良い揉みっぷりである。
 わずか数行のうちに 「何か」 が三度も出てくるのは名文ではないのかもしれない。しかし、これは名場面である。書かれてはいないが、女の背後から手を回して揉んでいる気がする。
 この場面の直前には、以下のやりとりがある。

……女は何故か時々京都訛りを真似た。「きったいな事を云いなはる」などといった。「奇体(きたい)」と「怪体(けったい)」を混同していると彼は思った。
「京都は好きか?」
 女は乗気らしい返事をした。

 この女が出てくるのはこれっきりだが、謙作はひとり京都へ旅立つのであった。