大山にて

 謙作は大山の麓にある禅寺に滞在している。前篇の頃とは様子が違っているものの、《不愉快》 が時々顔を出すようになり、近所の坊主とつまらない喧嘩をしたり、おかしな夢を見たり、人類滅亡について空想したりしている。一言でいえば狂っているということになるのだが、元々頭がおかしい人物なので、このあたりは決して不自然な展開ではない。
 ある日、彼は直子に手紙を書く。

……彼は洋罫紙の雑記帳を取り、その中から三枚程破って、余白に「こんなものを時々書いている」と書き、手紙に同封した。二三日前この書院窓の所で蠅取蜘蛛(はえとりぐも)が小さな甲虫を捕り、到頭、それが成功しなかった様子を精(くわ)しく書いて置いたものだった。自分の生活の断片を知る足しになると思ったのだ。


 志賀直哉 『暗夜行路 (後篇)』 第四 十六

 別居中の妻へ近況を知らせる手紙に昆虫の観察記録を同封する、というのはどう考えたって、頭がおかしいとしか思えないのだが、この大山の場面には、昆虫や小鳥、小動物などの細かな描写が頻出している。(志賀の 『城の崎にて』 も大半が昆虫と小動物が死ぬ描写に終始する小説であったことを思い出す。)
 この後、近所で殺人事件が起こり、大山で知り合った 《竹さん》 という男の妻が殺されて、犯人が山へ逃げ込むというエピソードがあるのだが(読者よ、これはうそじゃないんだぞ!)、そんなことは全くスルーして、謙作は大山に登り、途中で具合が悪くなって下山。大腸カタルに罹って死線を彷徨い、直子と再会する、というのが結末である。

「私は今、実にいい気持なのだよ」


 志賀直哉 『暗夜行路 (後篇)』 第四 二十

 謙作の最後のセリフである。彼の命が助かるのかどうかは、はっきりしないのだけれど、無理やりハッピーエンドに持って行った感は否めない。かつて謙作の父が母を許したように、彼が本当に妻を許したのかどうか、否、直子という一人の女性を再び受け入れることが出来たのかどうか、全く何も書かれていないのである。
 小説の結末という点でいえば、無理に完結させないほうが良かったのではないかと思わずにいられない。志賀直哉は生涯に長編小説を一つ残した、というだけのことである。(志賀が亡くなったのは本作が完成してから三十年以上後のことだ。)彼はやはり短編小説向けの作家だったのだろうと思うのである。