島崎藤村 『藁草履』

 信州海の口村は馬の産地である。
 皇族殿下の行啓を記念して、野辺山が原では競馬の催しが開かれ、四千人の群衆、三百頭余の馬が集まった。
 主人公の源は馬主と騎手を兼ねている。スタートの合図がなる。

 合図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れる。真先に乗進んだのが源の青、次が紫、白、赤でした、樺は乗りおくれて見えました。「青、青」の叫び声は埒の四方から起る。殿下は御仮屋の紫の幕のかげに立たせられ、熱心に眺入らせ給うのでした。大佐は幾度馬博士の肩を叩いたか知れません。知事も、郡長も、御附の人々も総立です。参事官は白いしなやかな手を振りました。五人の乗手は丁度乗出した時と同じ順で、五十間ばかりの距離を波打つように乗進んで行った。源が紫に先んじたことは、樺が赤に後れたと同じ程の距離です。ですから源が振返って後を見た時は、舞揚る黄色い土烟(つちけむり)の中に、紫と白とがすれすれに並び進んで、乗迫って来たのを認めたばかり。懼(おそ)るべき灰色の馬頭は塵埃(ほこり)に隠れて見えませんのでした。驚破(すわや)、白は紫を後に残して、真先に進む源をも抜かんとする気勢(けはい)を示して、背後に肉薄して来た。「青」、「白」の声は盛に四方から起る。源も、白も、馬に鞭(むちう)って進みました。競馬好きな馬博士は、「そこだ、そこだ」とばかりで、身を悶(もだ)えて、左の手に持った山高帽子の上へしきりと握拳(にぎりこぶし)の鞭をくれる。大佐は薄ひげをかきむしりました。今、源は百間ばかりも進んだのでしょう。馬は泡立つ汗をびっしょりかいて、それが湯滝のように顔を伝う、流れて目にも入る。白い鼻息は荒くなるばかりで、烈しく吹出す時の呼吸に、やや気勢の尽きて来たことが知れる。さあ、源はあせらずにおられません。こうなると気を苛(いら)ってやたらに鞭を加えたくなる。馬は怒の為に狂うばかりになって、出足がかえって固くなりました。にわかに「樺、樺」と呼ぶ声が起る。樺はたしかに最後のはず。しかし、その樺が今まで加え惜んでいた鞭を烈しくくれて、衰えて来た前駆の隙を狙ったからたまりません。見る見る赤を抜き、紫を抜きました。馬博士は帽子をつかみつぶして狂人(きちがい)のように振回す。樺は奮進の勢に乗って、凄(すさま)じく土塵(つちぼこり)を蹴立てました。それと覚った源が満身の怒気は、一時に頭へ衝きかかる。いかんせん、樺はまっしぐら。馬に翼、翼に声とはこれでしょう。たちまち閃電(いなずま)のように源の側を駆抜けてしまいました。


 島崎藤村 『藁草履』

 『藁草履』 は明治35年に発表された短編小説。島崎藤村が小諸義塾で教師の職に就きながら書いた、初期の作品である。
 源は競馬で負けた腹いせに、妻を天秤棒で打ち、足を骨折させてしまうのだが……という何とも不条理な話で、読み終わるとぐったりする。小説の出来としては習作レベルなのだと思う。だが冒頭近く、上に引用した競馬の場面の描写は実に見事だ。元々です・ます調だったのが、だんだん乱れてくる。センテンスも短くなってくる。文章にリズムがあり、スピードがある。一気に読ませようとする気迫がある。二葉亭四迷らの言文一致運動から15年。現代にも十分通じる口語文の完成の瞬間を見たような気がする。