スタインベック 『気まぐれバス』

 フアンは、かっとなった。「いいかね」と、彼はいった。「バスをうごかすのは私なんだ。この仕事は、もうだいぶ永いことやっている。わかるかね? あんたは黙って乗って、私にまかせるか、それがいやならよしてもらいましょう。とにかく、車は私がうごかすんだ」


 スタインベック 『気まぐれバス』 第八章 (大門一男訳)

 『気まぐれバス』"The Wayward Bus" は、後にノーベル文学賞を受賞したジョン・スタインベックが1947年に発表した長編小説。
 カリフォルニアの田舎町でローカルな路線バスを個人で営業している男フアン・チーコイが主人公である。フアンはバスの運転手と整備士を兼務し、家ではガソリンスタンドとレストランと雑貨屋を妻と二人で営んでいる。本作は愛車 「スイートハート」 が故障して、乗客たちが彼の家で足止めを食わされている場面から始まる。フアン夫妻も従業員も乗客も全員が睡眠不足で、爆発寸前までストレスがたまっている。快調な出だしだ。
 小説は登場人物たちの心理を交互に描写しながら、やたらと狭い作品世界の中の人間関係を描き出していく。この前半部分は、横光利一の 『蠅』 を思わせる。まさかスタインベックが横光を読んでいたとは思えないのだが、本当にそっくりな場面がいくつもあるのだ。(しかも、蠅がぶんぶん飛び回る描写がしつこく書かれている!)
 後半、バスが乗客を乗せて出発し、嵐に襲われて山道の途中で動かなくなってしまうあたりは、もはや暴力とセックスとパニックの大騒ぎである。一体フアンはこの状況をどうやって切りぬけるのか!?
 船や飛行機をめぐるトラブルや乗客の心理を描写した小説、映画はたくさんあるが、本作はそういったテーマの作品の原点と呼ぶべき佳品である。長らく絶版になっているようだが、光文社あたりから新訳版が出ないものだろうか。


気まぐれバス (1965年) (新潮文庫)

気まぐれバス (1965年) (新潮文庫)