横光利一 『上海』
横光利一の長編小説 『上海』 は昭和3〜6年に雑誌 『改造』 に掲載され、手を加えられて昭和7年に単行本として刊行された。その後、さらに作者が手を加えて昭和10年に 「決定版」 と銘打って再刊されている。現在、講談社文芸文庫と岩波文庫から出版されているが、前者は昭和7年版を、後者は昭和10年版をそれぞれ底本としており、若干ではあるが内容が異なっている。2種類の文庫本が手元にあるのだが、特に断らない限り、講談社版を引用することにしたい。
舞台となるのは大正14(1925)年の上海。植民地時代の上海は、アメリカ人、西欧人、日本人、革命を逃れたロシア人等が住む人種の坩堝であった。
満潮になると河は膨れて逆流した。火を消して蝟集(いしゅう)しているモーターボートの首の波。舵の並列。抛り出された揚げ荷の山。鎖で縛られた桟橋の黒い足。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙り出した。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力(クリー)達が湿って来た。鈍重な波のまにまに、破れた黒い帆が、傾いてぎしぎし動き出した。
横光利一 『上海』 一
上は本作の冒頭である。短いカットを連続させた映画のオープニングのような、視覚に訴える情景描写だ。ここでは擬人法と体言止めというレトリックが効果的に用いられている。(「火を消して〜」以降の4つの体言止めの文が、岩波文庫版では削除されていて残念だと思う。)
擬人法とは人間以外の事物に人間のような属性を持たせる修辞法だが、ここでは無生物を主語とする文が続いている。擬人法を巧く用いた例として、川端康成 『伊豆の踊子』(大正15年) を挙げておこう。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
川端の端正な文章に比べて、横光のそれは毒々しい。しかも、こんな感じの文章が延々と続くので、くどい。だが、魔都上海のもつ毒々しさを表すのに適した文体なのだと思う。
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