平田禿木、酔っ払って樋口一葉を訪ねる

姉君来訪。ついで秀太郎も来る。長くあそびたり。日暮れて、馬場君、平田君袖をつらねて来らる。今日、高等中学同窓会のもよほしありて、平田ぬし其席につらなりしが、少し酒気をおびて、「一人寐ん事のをしく、孤蝶子を誘ひて君のもとをとひし成り」といふ。このほどの夜とかはりて、いと言葉多かりし。孤蝶子、例によりてをかしき事どもいひちらす。哲理を談じ、文学をあげつろうに、ほこ先つよし。夜はいつしか更けて、十時にも成ぬ。「いざ帰らむ」と馬場君いへば、禿木子、窓にひぢもたせて、はるかに山のかたをながめつ、「いかにしても僕は帰ることのいやに覚ゆる」といふ。「こはあまりにうちつけ也。少しつゝしめよ」と孤蝶子大笑すれば、「今しばし置かせ給へ」と、此度は時計を打ながめていふ。 月は今しも木のまをはなれて、やゝのぼらんとするけしき。 村くも少し空にさわぎて、雨気をふくみし風ひやゝかに酔ひたるおもてをなでゝゆけば、平田ぬし、「あはれよき夜や」と、かうべをめぐらしてはたゝへぬ。「いかで一句」と孤蝶子をうながすに、
  「月のまへにわか葉そよぐこよひかな」
 景は句をのみ、情を没して、黙々の間に、「たゞよきよと計おもはるゝもをかし」と例の笑ふ。


 樋口一葉 「水の上につ記」 明治28年5月10日の日記

 昨日引用した日記の前段にあたる箇所より。酔っ払った平田禿木馬場孤蝶を連れて樋口一葉宅を訪れたが、なかなか帰らないという話。
 当時の一葉宅は本郷区丸山福山町にあった。近所の喫茶店に呼び出したのではない。妹と母親と女三人借家住まいのところへ押しかけたのである。なかなか断れない状況だったのかもしれないが、よく追い出されなかったものだと思う。
 ここで馬場君の名誉のために書いておくと、樋口家に出入りしていた連中の大部分は明治学院卒業生だが、平田禿木は出身校が異なる(第一高等学校中退と Wikipedia に書かれている)。同窓会に行ってべろべろに酔っ払ったのは、平田君だけなのである。
 満月の光を浴びて一句詠む馬場君はクールだ。ここからは僕の憶測に過ぎないのだけど、孤蝶先生の句に詠まれた 「わか葉」 とは一葉のことではなかっただろうか。そう考えると、日記の意味が変わってくるのだが。