馬場孤蝶、尾崎紅葉に出会う

 馬場孤蝶 『明治文壇の人々』(ウェッジ文庫) には、明治期に活躍した多くの作家、文学者と著者との出会いの模様が記されている。
 まずは尾崎紅葉(1868-1903)との出会い。以下の引用部分に 「明治二十四年」 とあるが、当時馬場は数え二十三歳、明治学院を卒業したばかりの夏の出来事である。

 時は明治二十四年の八月上旬、場所は相州の酒匂(さかは)の松濤園(しようたうゑん)に於てゞあつた。
 親類の者が病気であつたので、その附添ひに行つて松濤園の離れの二階に泊つてゐた僕は、病人が昼寝のひまに、ゾラの『ナナ』の英訳を持つて、松濤園の母屋の庭の松の根方に腰をかけて、頁をめくり出したが、一寸(ちよつ)と一間位離れたところに二十六七位に見える、眼の鋭い、如何にもキリヽと引き締まつた顔だちの若い男が、跼(しや)がんで砂を握つては指の間から滾(こ)ぼし、又握つては滾しゝて、如何にも無聊(ぶれう)らしい風で居る。……(中略)……
『ゾラをお読みですか?』
 と先きから言葉をかけられたので、
『えゝ、面白いものだと聞きましたもんですから、友達四人程で云ひ合せて「ナナ」を四冊取つて読むことにしたんですが、私は今それを読み始めたところです』
 と、答へると、
『それは惜しいことでしたな、同じものをお買ひなさらずとも、皆さんがちがつたものを一冊づゝお取りなすつて、交換してお読みなすつたら、よかつたでせうに』
 と、いふやうな意味のことを云つてから、ゾラの作物の話をいろ/\してくれた。


 馬場孤蝶 『明治文壇の人々』 「自然主義を育ぐくむ文界」 九

 互いに名乗らぬまま、文学の話を続けるうちに、相手の男が実は尾崎紅葉だったことが判明するという話である。
 当時の尾崎は讀賣新聞社の小説記者として活躍中のプロフェッショナルである。「二十六七位に見え」 たと書いているが、馬場とは一つ違いだから二十四歳のはず。書生と社会人の貫録の違いであろう。
 ところで、「ナナ」 を購入した友達というのは、名前が書かれていないのだが、島崎藤村戸川秋骨平田禿木ではないかと思う。いや、そうに決まっている。