島崎藤村と馬場孤蝶
芭蕉は五十一歳で死んだ。それに就いて近頃私の心を驚かしたことがある。友人の馬場君はその昔白金の學窓を一緒に卒業した仲間であるが、私よりは三つほど年嵩にあたる同君が、來年はもう五十一歳だ。馬場君のことを孤蝶翁と呼んで見たところで、誰も承知するものは有るまいと思はれるほどに同君はまだ若々しいが、來年の馬場君の歳に芭蕉は死んで居る。
これには私は驚かされた。老人だ、老人だ、と少年時代から思ひ込んで居た芭蕉に對する自分の考へ方を變へなければ成らなくなつて來た。
五十位な吾々に取つては、自分から俺は老人だと思ふことは、甚だ困難である。然し、若い人々は吾々を老人だと思つて居るに違ひないし、又さう思ふのは尤もな事である。
吾々自身も青年時には、五十位の人を見れば、可なりな老人だと思つて居た。さうして見れば吾々が自ら老人たることを承認するとせざるとに拘らず、若き人々から老人を以て遇せられることは全く已むを得ないことである。
馬場孤蝶 『明治の東京』 より 「昔の寄席」
島崎藤村 「芭蕉」 は大正8年1月に発表された随筆。馬場孤蝶 『明治の東京』 は作者の没後、昭和17年に刊行された随筆集で、「昔の寄席」 の初出年代は不明だが、藤村と同時期と思われる。
明治の初めに生まれた二人の文学者の文章を並べてみたのだが、藤村も孤蝶も全く同じことを書いているのが面白い。もっともこれは偶然の産物というわけではなく、二人が会ってこのような会話を交わしたと考えるほうが自然だろう。学生時代の親友同士が生涯にわたって、文学を通じた交わりを続けたのは素晴らしいことではないか。
僕も来年は五十である。学生時代の友人と会うことも滅多になくなってしまったが、会えば必ずこんな話題が始まるのかもしれない。夏目漱石が亡くなったのは数え五十歳のときだ。自分が漱石の年齢をこえて生きるとは思わなかった。人はこうやって老境に入っていくものなのだろうか。不思議な心持がする。