須田町の銅像
戸川秋骨(1870-1939)という英文学者がいる。島崎藤村の同級生であり、『文學界』 同人メンバーだった人物である。その戸川が 「翻訳製造株式会社」 という随筆を書いている。
翻訳国と言へば日本の事物はすべて翻訳である。政治も、教育も、事業も何もかもさうである。その内には良訳もあれば誤訳もある。文芸の翻訳の気分訳もあれば逐字訳もあらう。(中略)私は三越に行く度(たび)に、なるほど西洋のデパートメント・ストアを翻訳したら、恁(こ)うなるのだなと感心する。恐らくこれ等はうまく翻訳したものであらう。これに反して須田町(すだちやう)に立つて居る銅像は確かに誤訳である。而もあれは逐字訳の方の誤訳であらう。恐らくこれほどイギリスの原文を一字一句、そのまゝに訳して醜悪を曝(あらは)したものはあるまい。須田町と言へば、これも嘗(か)つて私の言つた処であるが、その場処そのものが誤訳である。両国でも、この筋違でも、旧来の広場をつぶして、新らしい広場の誤訳をもツて来たものである。これ等は顕著なものであるが、今日の吾が社会に無数にあるいやな事、間違つた事の多くは、この誤訳から来て居るのであるまいか。
近代日本の文明・文化はすべて欧米の翻訳であるという。日本橋三越や神田須田町の街並みもまた西洋の翻訳だと云うのである。東京という都市の景観を、このような視点で捉えるというのが面白いと思う。
さて、文中に書かれている 《須田町の銅像》 というのは以下の画像のものである。
神田須田町付近廣瀬中佐銅像 posted by (C)ヤスフロンティア
でかっ!!
モスクワ? スターリン? 写真を見るかぎり、そんなことを思ってしまいそうだが、この銅像が建てられたのは明治43(1910)年のことだから、スターリン同志の先輩にあたる。
http://www16.ocn.ne.jp/~murakumo/c-h/7-003.html
上のサイトには、広瀬中佐銅像をあらゆる角度から撮影した写真が掲載されているので、ご覧いただきたい。
モデルとなった広瀬中佐なる人物のことは措くとして、この巨大な銅像および無駄に背の高い台座は悪趣味である。所在地は旧万世橋駅前*1なのだが、広場全体を含めて街の景観をぶち壊しているとしか思えないのだ。秋骨先生が 「広場の誤訳」 と述べたのはなかなか上手い表現だと思う。
広瀬武夫 - Wikipedia
広瀬中佐という軍人については、Wikipedia にさまざまな伝説や逸話が記載されているのだが、一つユニークなエピソードが書かれている。
昨今、素手でトイレを掃除することを推奨する教育団体が各地にあると聞くが、どうやら始めたのはこの人のようである。大正初期には 「広瀬中佐」 という文部省唱歌*2が作られ、国定教科書に載ったほどの人物だから、学校教育には何かとゆかりがあるのだろう。
トイレ掃除のことを考えていたら、何やら軍靴の音が聞えてきたので、このエントリを終了することにする。