樋口一葉の「断る力」
お母様はなぜ阪本を婿にするのを断ったのでしょう?
id:matasaburo さんから上のブコメをいただいた。これは断って当然だろう、と僕は思いこんでいて、元の文章を読み飛ばしていたのだけれど、もう少し深く考えてみることにしたい。
まず、問題を二つに分けてみることにしよう。
- なぜ 「母親が」 断ったのか?
- なぜ阪本の求婚を断ったのか?
なぜ 「母親が」 断ったのか?
「結婚を申し込むときは第三者を通じて、相手の親に申し出る」 というのが昔の慣習である。この 「第三者」 すなわち間に立って縁談を取りまとめる人のことを仲人という。(もちろん、見知らぬ男女同士を引き合わせて見合いをさせる仲人もいる。)小説でいうと、『細雪』*1 や 『暗夜行路』*2 に描かれる結婚は、この慣習に則っている。一方、『こころ』 の 《先生》 は、第三者を介さずに 《お嬢さん》 の母親に直接結婚の許可を申し出ているが、あのやり方は慣習に沿わない反則技なのだ。また、仲人から申し受けた話に対して、諾否を答えるのは親の役割である。プロポーズされた本人の意思は二の次というわけだが、このやり方は終戦後まで続いていたものだ。したがって、「渋谷三郎を聟に世話しようという話」 を 「母親が」 断ったのは、当時の慣習からすれば当然だったと考えられる。
さらにいえば、樋口家の家長は一葉である。家内の経済的な状況を考えてみても、本人が結婚を望んでいて、母親がそれに反対したとは考えにくい。一葉自身もこの縁談を断りたかったのだろうと推測される。
なぜ阪本の求婚を断ったのか?
『にごりえ・たけくらべ』(新潮文庫) の巻末年譜には、次の一節がある。
明治二十五年(一八九二) 二十歳 (中略)
八月、新潟三条町区裁判所検事になった渋谷三郎が突然訪問、坪内逍遥や高田早苗にいつでも紹介するといった。
ちくま日本文学全集(文庫版)と違って、新潮文庫のほうには求婚を断った話は載っていないのだが、同じ月の出来事である。小説家に憧れる二十歳の娘に対して、文学界の著名人を紹介すると言いつつ自らの人脈を誇るとは、下心が見え隠れしていて、なんとも嫌な男だと思う。もちろん当時の渋谷(=阪本)の真意を質すすべはないのだが、30年後の演説のいやらしさを知れば十分だろう。
一葉の小説には、主人公の女性が結婚に失敗する話がいくつかある。
『雪の日』(明治26年発表) は、幼くして父母を喪い、育てられた伯母の反対にもかかわらず、東京の学校教師と駆け落ち同然の結婚をしたものの、いつの間にか都落ちしてしまい、結婚を後悔するという話。(結婚後の生活の描写が抽象的なため、小説としては物足りない作品である。)
『われから』(明治29年に発表された一葉最後の小説) は、金持ちの娘が代議士を婿にとるが、夫は芸者と浮気、自身も書生と関係してしまうというダブル不倫の話である。(書生に対する逆セクハラの場面が実にリアルで、僕はこれが最高傑作だと思う。)
一葉は、想う人との結婚をあきらめたことがあるといわれる。相手は彼女が小説の指導を受けていた半井桃水(Wikipedia 参照)という人物である。これらの小説は妙に悲観的だが、自らの人生を投影し、《もう一人の自分》 を描いた作品だったのではないか、というのが僕の解釈だ。
求婚されたとか妾になれと言われたとか、そういう話はほかにいくつもあって、俗説・新説を含めると長いリストが出来上がりそうなくらいのものらしい。*3モテすぎのような気もするが、彼女は最後まで断り続けたのである。