谷崎潤一郎 『肉塊』

 主人公小野田吉之助は、亡父の遺した商売と財産を全て売り払い、活動写真を撮るために自前のスタディオ、現像室、映写室を建てる。撮影技師はアメリカ帰りの柴山。主演は混血の美少女グランドレンである。吉之助はグランドレンのために、人魚姫を題材にした脚本を書き、一本の映画を作ろうと奔走する。彼の妻民子は事務方と衣装を担当している。

「成る程お白粉をつけていない。」
と、夫の言葉を思い出しながら、その「白瑪瑙のように」青白く透き徹った顔色を彼女は見た。栗色にちぢれた髪の毛、どんより眠っているようで著るしく魅力のある大きな瞳、凡てが夫の云う通りである。そして彼女が、それに依って朧ろげながら想像していた人柄の通りである。若し此の女の皮膚の色が今少し尋常であり、その海のように深い瞳が今少し人間並であったら、夫の事業の性質をどんなに理解しているにもせよ、恐らく彼女は軽い嫉妬を覚えたであろう。が、民子が最初に感じたものは、自分と同じ女だと云う心持ちが打ち消されるほど、それほど自分とかけ離れた優越な人種の容貌だった。――(中略)――そのつやつやしい頬の肌は、後の窓から射して来る日の光を、ぼうッと猫の毛のように柔かく吸い込んでいるのである。狭い、うす暗い部屋の中で、それに向い合った民子は、大きな花の前に出た醜い小いさな虫のように身をちぢめた。


 谷崎潤一郎 『肉塊』 五

 民子の辛抱強い努力にもかかわらず、吉之助はグランドレンと関係を持ち、彼は次第に映画と現実の境を見失っていく――。
 本作のユニークな点は、上で引用したように民子の視点を何度も交えながら、物語をすすめている所にある。人魚姫の映画(谷崎の短編 『天鵞絨の夢』 を彷彿とさせる)は失敗に終わり、続く第2作もグランドレンのわがままから撮影は頓挫。経済的にも映画製作は最早困難になってしまったが……、というところで、ストーリーは意外な方向へ進む。柴山と民子の活躍により映画は無事完成し、成功を収める。
 だが、そのままハッピーに終わらないのが谷崎文学である。吉之助は述懐する。

「やっぱり自分は凡庸な人間だったのだ、」――と、そう彼は思った。――「藝術などは自分の柄になかったのだ。幼い頃に抱いていた夢の国だの、美の幻影だの、あのさまざまな空想は一体何だったのか知らん? 要するに唯淫慾の変形だったのじゃないか? 自分の頭の中にあるのはグランドレンだけなのだ、彼女のなまめかしい肉体がいろいろの妄想を見させただけなのだ。」――


 谷崎潤一郎 『肉塊』 十二

 こうして、吉之助は自分のスタディオを去り、グランドレンを連れて、怪しげな人々と共にブルーフィルムを撮り始めるのである。


 『肉塊』 は大正12年1〜4月に発表された長編小説。同年9月に起った関東大震災により、谷崎は関西へ移住したが、その直前の横浜を舞台にした作品である。翌年に発表された名作 『痴人の愛』 のナオミに比べると、グランドレンはどうにも掴みどころのないキャラクターなのだが、柴山と民子という客観的な視点を深く描くことにより、主人公の破滅をより深刻に描くことに成功していると思う。