谷崎潤一郎 『過酸化マンガン水の夢』
『過酸化マンガン水の夢』 は昭和30年に発表された日記形式の短編小説。フィクションなのだろうけど、自著に言及している箇所があるので、主人公は谷崎自身といってよいだろう。
……田村町の某と云う中華料理店に夕食をたべに行く。高血壓以来中華料理は兎角過食する恐れがあるので久しくたべたことがなく先月の陶々亭が病後初めてにて今回が二度目なり。麻油(ゆう)と醤油に漬けた海月(くらげ)、椎茸、白鶏、鮑、トマト、胡瓜等々を一皿に盛った前菜、蝦の巻揚げ、芙蓉魚翅(フーヨンイーツー)と云う鱶の鰭に卵の白身のスープ、胡桃と鶏のたゝきの煮付、豆腐と鶏肉のどろ/\煮、杏仁湯と棗(なつめ)の餡の這入った八宝飯、最後に口が曲るように辛い支那の漬物とお茶づけご飯。予は此の支那の漬物が昔は大好物であったが、血壓症には禁忌なるを以て手をつけず。
四人連れで中華料理だったら品数としてはこんなものかもしれないが、翌日には京料理を食べに出かけている。いくらなんでも、谷崎先生食べ過ぎである。
《予》 は日劇ミュージックホールでストリップを鑑賞し、フランス映画 「悪魔のような女」 を観る。後半は夢と幻想が混ざったような展開で、これらの食べ物とストリップ女優とフランス映画がごちゃ混ぜになって出て来るのである。
「悪魔のような女」 は同年に公開されたサスペンス映画で、「此の映畫を御覧になった方々はこれから御覧になる方々の興味を殺(そ)がないために筋を人に語らないで戴きたい」 と冒頭に表示されていたらしい。(にもかかわらず、谷崎の小説にはストーリーと結末が全部書かれているのはご愛敬。)
「悪魔のような女」 の結末部分が YouTube にアップされていたので、リンクしておこう。BGM が全くないので、ドアのきしむ音などが効果的だと思う。
本作と同じ題名の単行本は昭和31年に刊行されている(ほかに4編収録)。古書店でこの本を見かけたのだが、横長の書籍で、1行20字という原稿用紙をそのまま活字化したような、変わったつくりの物であった。