幸田露伴 『五重塔』

 幸田露伴の小説 『五重塔』 は明治24(1891)〜25(1892)年に新聞 「国会」 に連載された。以下は本作の結末部分からの引用である。

 暴風雨のために準備(したく)狂ひし落成式もいよいよ済みし日、上人わざわざ源太を召(よ)びたまひて十兵衛と共に塔に上られ、心あつて雛僧(こぞう)に持たせられし御筆に墨汁(すみ)したたか含ませ、我この塔に銘じて得させむ、十兵衛も見よ源太も見よと宣(のたま)ひつつ、江都(こうと)の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太に記し了(おわ)られ、満面に笑を湛へて振り顧りたまへば、両人ともに言葉なくただ平伏(ひれふ)して拝謝(おが)みけるが、それより宝塔長(とこしな)へに天に聳えて、西より瞻(み)れば飛檐(ひえん)ある時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚(はなし)は活きて遺(のこ)りける。


 幸田露伴五重塔』 其三十五

 この小説に描かれる谷中感応寺と五重塔は実在の仏閣である。歴史上の五重塔についてちょっと調べてみたので、年表風に書いてみることにしたい。(資料はhttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/edo5_3.htmほかによる。)

 感応寺五重塔は二度建立され、二度とも焼失した。幸田露伴の小説が書かれたのは、寛政3年に五重塔が再建されてからちょうど100年後のことである。作中に 「再建」 を連想させる言葉は用いられていないが、「百有余年の今になるまで、譚は活きて遺りける」 と書かれているのだから、小説のモデルとなった五重塔は再建されたほうの建物であったと考えて良いだろう。また、主人公 《のつそり十兵衛》 が 「暴風雨が怖いものでも無ければ地震が怖うもござりませぬ」(其三十三) と語っているとおり、安政の大地震*1の時にも倒壊しなかった事実をふまえていると思われる。小説発表後も、関東大震災、空襲など天災・人災に見舞われたが五重塔は残った。昭和32年に焼失したのが残念でならない。いつの日か平成の五重塔を見てみたいと願うものである。


 小説の内容は十兵衛と源太という二人の大工を中心とする人間ドラマである。冒頭其一から其三まで、二人の妻からの視点で描かれているところが面白い。文語体で書かれているので一見読みにくそうだが、登場人物の各々役柄がはっきりしており、文章のテンポが速いため、どんどん読み進めることができる。特に会話はユーモアたっぷりに書かれていて、ちょっと講談か落語でも聞いているような感じがする。
 岩波文庫の巻末解説(桶谷秀昭)には、十兵衛が主役で源太が脇役と書かれているが、源太の出番は極めて多く単なる脇役とはいえない重要な人物なのだ。十兵衛は、源太からのさまざまな提案をことごとく断ってしまうのだが、実際には資材の調達や職人の手配といった源太の人脈と経験がなければ十兵衛の偉業は果たされなかったのである。結末における 「江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す」 という朗円上人の筆も、予定調和的でなるほど納得の行くものとなっている。
 名文というよりも名調子と呼びたい大傑作小説だと思う。


五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

*1:露伴が生まれる前の出来事だが、地震から小説執筆まで三十数年しか経っておらず、人々の記憶に残っていたであろう。