幸田露伴 『蘆声』

 「金持ちの人間が貧しい者に出会って施しをする」 という文学上のテーマのようなものが昔からある。例えば以下の二つ。

 仙吉は其処で三人前の鮨を平げた。餓え切った痩せ犬が不時の食にありついたかのように彼はがつがつと忽(たちま)ちの間に平げて了った。他に客がなく、かみさんが故(わざ)と障子を締め切って行ってくれたので、仙吉は見得も何もなく、食いたいようにして鱈腹(たらふく)に食う事が出来た。


 志賀直哉小僧の神様』(大正9年
強調部は原典では傍点。

 逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。
「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と。


 太宰治 『たずねびと』 (昭和21年)

 志賀も太宰も好きな作家なのだけれど、僕は上に挙げた二つの作品はどちらも全く共感できない。上の引用箇所はいずれも施しを受けた側の者の受け止め方が極端すぎるのである。これらの小説には何か大事なものが決定的に欠けているのではないか。長い間、僕はそう思い続けていた。


 幸田露伴(1867-1947)が60歳を過ぎてから書いた短編小説 『蘆声(ろせい)』 に、僕が長年抱いていた疑問に対する一つの回答が書かれていた。
 《自分》 は中川の川べりの西袋(現在の江戸川区平井のあたりか?)で、毎日釣りをしている。ある日、いつものように釣り場へ行くと、いつも自分の座るところに薄汚い恰好をした 「東京者ではない、田舎の此辺(ここら)の、しかも余り宜(よ)い家でない家の児」 が座って釣りをしている。
 《自分》 は少年に場所を空けるように言うが、少年は反抗的な態度を見せ、譲ろうとしない。(と、ここまでは当たり前の話である。) 《自分》 は言葉を巧みに操りながら、少年への説得を試みる。そして、説得はある程度成功する。しかし、次の一言で 《自分》 は大きな衝撃を受けるのである。

どうだネ、兄さん、わたしはお前を欺(だま)すのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が其処を退かないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。
と言って聴かせている中(うち)に、少年の眼の中は段々に平和になって来た。しかし末に至って自分は明らかにまた新(あらた)に失敗した。少年は急に不機嫌になった。
 小父さんが遊びだとって、俺が遊びだとは定(きま)ってやしない。
と癇に触ったらしく投付けるようにいった。


 幸田露伴 『蘆声』

 少年の釣りは遊びのためではなかった。意地悪な継母に虐待され、その日の食糧を取ってくるよう命じられていたのである。
 小説はここから俄然面白くなるのだが、敢えて引用しない。とにかく、《自分》 と少年は二人で釣りをしながら、様々な駆け引きをし、最終的に 《自分》 が釣った魚を二匹、彼に与えるのである。

 自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子をこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣った魚の中からセイゴ二尾(ひき)を取って、自分に対して言葉は少いが感謝の意は深く謝した。

 二人の釣り人は夕暮れの土堤の上で別れ、二度と会うことはなかった。
 ――それだけの話なのだけれど、本作には主人公と少年の直接のやりとりが丹念に書かれているのが興味深い。その場限りではあるけれども、深いコミュニケーションが成り立っている点、先行の志賀や戦後の太宰の作品には見られない面白さがある。(少年との会話場面については、どちらかというと山本周五郎青べか物語』 に通じるものを感じる。)
 露伴の小説には道徳的教訓的な結末を含むものが多いようだが、本作にはそのような説教じみた要素がなく、主人公の感情を正直に描いている点、地味ながら名作だと思った。

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

 『幻談・観画談』(岩波文庫)は、怪談・ファンタジー風の小説や随筆を集めた露伴晩年の作品集。『蘆声』 はその末尾に収録されているが、一番面白い。