大江健三郎 『飼育』

 戦争末期、山奥の村に 「敵の飛行機」 が墜落する。飛行機は森の中で炎上したが、落下傘で脱出した一人の黒人兵が捕えられ、村人は彼を地下倉で 「飼う」 ことになる。言葉の通じない黒人兵に対し、最初村人たちは怯えていたが、子供たちを中心に少しずつコミュニケーションが出来るようになり、ある程度の行動の自由も許されるようになる。だが、捕虜を県に引き渡すことが決まると、黒人兵は主人公の少年 《僕》 の身柄を拘束して、地下倉に立てこもる。猟師である 《僕》 の父親は鉈を振りかざして、黒人兵を殺すが、その時、《僕》 の掌もまた破壊されてしまう。

「臭うなあ」と兎口(みつくち)はいった。「お前のぐしゃぐしゃになった掌、ひどく臭うなあ」
 僕は兎口の闘争心にきらめいている眼を見かえしたが、兎口が僕の攻撃にそなえて、足を開き、戦いの体勢を整えたのも無視して、彼の喉へ跳びかかってはゆかなかった。
「あれは僕の臭いじゃない」と僕は力のない嗄れた声でいった。「黒んぼの臭いだ」
(中略)
 僕はもう子供ではない、という考えが啓示のように僕をみたした。兎口との血まみれの戦、月夜の小鳥狩り、橇あそび、山犬の仔、それらすべては子供のためのものなのだ。僕はその種の、世界との結びつき方とは無縁になってしまっている。


 大江健三郎 『飼育』

 残酷なストーリーだが、単なる戦争悲劇としてでなく、主人公の少年が成長していくイニシエーションの物語として書かれているところに、この小説のユニークさ、文学作品としての価値があると思う。
 『飼育』 は昭和33年に発表された短編小説。山村の自然とそこに住む人々の生活が、いきいきと、濃密な文体によって描かれている。『死者の奢り』 からわずか半年後の作品とは思えないほどの成長ぶりであり、大江はこの作品で芥川賞を受賞した。
 学生時代以来の再読だが、今読んでも興奮する大傑作である。


死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

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