大江健三郎 『戦いの今日』

 《かれ》 と弟の二人は、米軍キャンプの近くで兵士にパンフレットを配っている。その作業は、大学の友達の友達から頼まれたもので、彼らはパンフレットを作った責任者のことを知らなかった。

……パンフレットは朝鮮戦争に出かけて行く若い知識人の兵隊によびかける言葉でうずめられていた。……(中略)
 朝鮮人のために死ぬことをこばめ、戦争で犬のように殺される屈辱を朝鮮人のためにひきうけるのはおろかしい。われわれ日本の青年は、勇気をもって戦線から離脱する、君ら海の向こうからの同学に腕をさしのべる用意がある。


 大江健三郎 『戦いの今日』

 菊栄という娼婦が、《かれ》 と弟の二人に、彼女の恋人である19歳の白人兵士アシュレイをかくまってほしいと頼んできた。しかし、このパンフレットを読んだ兵士が、まさか本当に脱走してくるとは誰も思わなかったのだ。二人は、パンフレットを作った責任者を見つけだすが、その張本人すら脱走兵を受け入れることは出来ないと云う。まったく無責任な話である。やがて、弟のつまらない責任感から、アシュレイと娼婦との4人の奇妙な生活が始まる……。
 と、ここまでの前半は面白いのだが、後半がだらだらと長い。アシュレイは決していいヤツではなく、人種差別主義者であったり、酔っ払って暴力をふるったりし、揉め事が延々と続くのである。
 朝鮮戦争当時の日本国内の世論や学生運動といった時代背景がよくわからないため、理解できない部分が大きいのかもしれないが、文学作品としては古臭いと言わざるを得ない。