大江健三郎 『他人の足』

 『他人の足』 は昭和32年に発表された短編小説。『死者の奢り』 と同時期の作品である。
 舞台は 「脊椎カリエス患者の療養所の、未成年者病棟」の中のみ。そこに、最年長である19歳の 《僕》 のほか一人の少女と五人の少年が入院している。

 僕らは殆ど、歩き始める可能性を、将来に持っていなかった。院長は、おそらくその理由で、僕らを大人の病棟から広い芝生を隔てて独立している一棟に集めて、特殊社会の雛型を作りあげさせる事を意図していたのだし、それは、かなり成功していた。その時も、十四歳の少年の一人が、複雑な方法で自殺未遂し、その後サンルームの隅で黙りこんでいた他は、みんな快楽的に生きていたのだ。
 しかも僕らは、快楽に恵まれていた。それは、僕らの係の看護婦たちが、シーツや下着を汚されることをおそれて、あるいは彼女たちの小さな好奇心から、そして殊に、今までの習慣から、僕らに手軽な快楽をあたえてくれたからだった。僕らの中には、時どき昼の間も係の看護婦に、車つきの寝椅子を押させて個室へ帰り、二十分ほどたって、頬を紅潮させた看護婦を従えて、得意げに戻ってくる者がいた。僕らは彼を忍び笑いで迎えた。


 大江健三郎 『他人の足』

 外界から隔離された閉鎖的な小社会においては、ときに特殊な行為が習慣化することがある。この病棟におけるそれは、看護婦による 《手コキ》 であった。
 ある日、病棟へ左翼系の大学生が入院してくる。彼は羞恥心から 《手コキ》 を拒み、病棟内で少年たちや看護婦を相手に政治活動の必要性を説き、原水爆禁止を訴える。

 僕は、この姿勢のままで何十年か生きるんだ、そして死ぬ、と僕はいった。僕の掌に、銃を押しつける奴はいないさ。戦争は、フットボールをできる青年たちの仕事だ。
 そんな筈はない、と苛立って学生は僕を遮った。僕らにも発言権はあるんだ。僕らも平和のために立上がらねばならない。
 足が動かないのさ、と僕はいった。立上がりたくてもね。……

 学生の政治活動は少年たちや看護婦を巻き込み、病棟へ新しい空気を作りだしていく。しかし、自殺未遂の少年と 《僕》 の二人だけは、その空気に背を向けたままである。やがて、学生は治療の末、歩けるようになり退院していき、病棟には 《手コキ》 の習慣が復活する――というストーリーである。
 病棟の少年少女も、左翼学生も、看護婦も全員がピュアである。作者だって当時22歳前後だから、青春まっただ中だっただろう。ちょっと笑っちゃうくらい童貞丸出しの小説なわけだが、この時期の大江健三郎は新鮮で、非常に面白い。


死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

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