島崎藤村と樋口一葉

 島崎藤村 『春』(明治41年発表) に、樋口一葉がちょっとだけ登場する。藤村たちが出していた同人雑誌 『文學界』 に一葉が加わったのだ。
 舞台は明治28年。「堤さん」 と書かれている女性のモデルが一葉である。以下、岸本は藤村、菅は戸川秋骨、足立は馬場孤蝶、市川は平田禿木となっている。

「どうだね、これから堤さんの許(ところ)へ出掛けて見ないか。足立君も行ってるかも知れないよ」
 こう菅が言出した。
 よく女の力で支えられている家庭が世の中には有る。そういう家庭には、よし男が有っても意気地が無いとか、働がないとかで、気象のしゃんとした人は反(かえ)って女の方にも見受けられる。堤の家も矢張そういう風のところであった。そこには堤姉妹が年老いた母親にかしずいて、侘しい、風雅な女暮しをしていた。いずれも苦労した、談話(はなし)の面白い人達であったが、殊に姉は和歌から小説に入って、既に一家を成していた。この人を世に紹介したのは連中の雑誌で、日頃親しくするところから、よく市川や足立や菅がその家を訪ねたものである。で、その日も菅は岸本を誘って、市川と三人連で出掛けようと思った。
 (中略)
「まあ僕は止そう」と彼は言った。
「そんなことを言わないで、一緒に行って見給えナ」
 と菅がしきりに勧めたが、到頭岸本は行く気に成らなかった。


 島崎藤村 『春』 百九

 岸本が堤さんの家に行く気にならなかったのには理由がある。当時の彼は兄の家に居候の身でありながら、職に就かずぶらぶらしていた。高等遊民などという洒落たものではなく、ただのニートである。文学を志しているのに未だぱっとしない、といった事情もある。これでは堤姉妹に合わせる顔もないのであった。
 だが、これはあくまでもフィクションである。藤村はちゃんと樋口家を訪ねたと年譜に書かれている。
 ここで、気になるセリフがある。「足立君も行ってるかもしれないよ」 とはどういうことなのか。上のエピソードに馬場孤蝶は無関係ではないか。と思ったのだけれど、孤蝶先生、一葉女史にご執心で熱心に通っていたと思われるふしもある。

馬場孤蝶 (ばば こちょう) 1869〜1940
翻訳家・随筆家・英文学者
本名 勝弥

明治11年父母と上京。22年明治学院に入学、同級に島崎藤村
在学中、本郷の若竹亭で落語や義太夫に親しんだ。樋口一葉と親しい友人となる。36年春、森田草平宅(偶然に一葉終焉の家)で草平や生田長江らと一葉会を催した。一葉関係の著書が多い。慶大教授。


 文京区 馬場孤蝶 (ばば こちょう)

 なんと、一葉の死後まで通いつめている。検索したら、一葉の妹といっしょに写っている写真もあった。
 では一葉は馬場君のことをどう思っていたのか。

……座するものは紅顔の美少年馬場孤蝶子、はやく高知の名物とたたえられし、兄君辰猪が気魂を伝えて、別に詩文の別天地をたくわゆれば、優美高潔かね備えて、おしむところは短慮小心、大事のなしがたからん生れなるべけれども歳は廿七……


 樋口一葉 「水の上につ記」(明治28年5月10日の日記)

 …………。
 藤村の話を書こうとしていたのに、馬場孤蝶ばかりになってしまつた。お粗末。

春 (新潮文庫)

春 (新潮文庫)