田山花袋 『重右衛門の最後』

 田山花袋 (1871〜1930) は自然主義文学を代表する作家である。
 だが、島崎藤村と同年代であり、ほぼ同時期に活躍していたにもかかわらず、いまどき花袋の小説など、ほとんど読まれていないのではないか。それもそのはず、代表作といわれる 『蒲団』 (1907年)がつまらないのである。
 新潮文庫から 『蒲団・重右衛門の最後』 という本が出ていて、表題の二作が収録されているのだけれど、先に載っている 『蒲団』 を読み終わると、壁に投げつけたくなる。しかし、そこであきらめてはいけない。後半の 『重右衛門』 が面白いのだ。

 『重右衛門の最後』 は明治35(1902)年に発表された中編小説である。
 語り手兼主人公の 「自分」 は学生時代の友人に再会するため、信州の山村を訪れる。しかし、村では連続放火事件が起こっていた。犯人の目星はついているが、「現行犯でなければ」 という理由により捕縛されないままだという。その間にも村の家々に火が放たれていく。
 放火事件の容疑者・藤田重右衛門は、生まれつき睾丸が大きく 「先天的不具」 である。暴れん坊で親を家から追い出し、結婚すれば酒を飲んで暴れ、妻に暴力をふるい、放火と賭博の罪で二度も投獄されている。身体的な障害のため子どものころからいじめられていたこともあって、彼は村人を憎んでいるが、周囲の人間もまた彼をもてあましている。あるとき、感情的なトラブルが原因で、「そんな吝(けち)くさい村だら、片端から焼払って了(しま)え」 と言って怒り出した後、放火事件は起こった。
 容疑という観点からすれば、同機は十分にある。村人の恨みを買ってもいる。だが、重右衛門は放火の真犯人ではなく、実行犯は彼と同棲する17歳の少女である。(はっきりと書かれてはいないが、重右衛門は共謀犯ということなのだろう。)
 業を煮やした村の者たちは、重右衛門を事故に見せかけて殺してしまうのだが……。

 不遇の人生を歩んだ男が犯行動機を抱えるに至る過程、「村」 そのものが持つ閉鎖性、村人による残虐な私刑といったテーマは、現代にも十分通じるものがある。マスコミやインターネットといった情報手段が普及した現代社会は、明治の村をそのまま拡大したものではないかとさえ思えるくらいだ。

 重右衛門の死後、今度は村中が火の海となり、焼け跡から少女の亡骸が発見される。自殺なのか他殺なのか最後までわからない。
 それから7年後、村の若者が主人公に語る。

あの後は村は平和かと聞くと、「いや、もうあんな事は有りはしねえだ。あんな事が度々有った日には、村は立って行かねえだ。御方便な事には、あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの時分より富貴(かねもち)に為っただ」と言つた。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がおりおり香花(こうげ)を手向(たむ)けるといふ事を自分に話した。

 事件の悲劇的な結末が一種の美談として語られるところに、この物語の真の残酷さを感じるのである。

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)