第8講 田山花袋 『蒲団』(1)

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講義ノート

 講義の最中にとったノートをほぼそのまま写したものなので、文責はすべて kanimaster にあります。

  • モテる男は 『蒲団』 が嫌い。
    • 中村光夫は 『蒲団』 を憎んだ。だが、昭和5年に没した花袋は忘れ去られたりしなかった。
    • 花袋の 『拳銃』 は、女弟子とヤッちゃった話。(『リアリズムの擁護 近現代文学論集』の巻末付録として収録されている。)
    • 柄谷行人 「花袋はもっと罪深いことをしていたはずだ」
    • 中村光夫(本名・木庭一郎)は艶福家の家系。弟の二郎と三郎は理論物理学者。
      • 日本百名山』 を書いた深田久弥は、中村の姉・志げ子と再婚した。
      • 二葉亭四迷論』 で池谷信三郎受賞。明治大学教授。(小林秀雄明治大学教授だったが、戦後、戦争協力を批判されて辞めた。)
      • 中村は20歳年下の女性・福家久子と再婚した(人のことはいえないが)。色男である。
    • 柄谷行人
      • 妻は本名・原真佐子。結婚後は柄谷真佐子。小説家・冥王まさ子、翻訳家・原麗衣(あきえ)はペンネーム。
      • 柄谷は真佐子の死後、若い女性と再婚した(人のことはいえないが)。
  • 少女病』 について
    • 若い女のことは全部 「少女」 と呼んだ。
  • 『蒲団』 の変なところ
    • 田中の関西弁が変なのは、以前から指摘されている。
    • 「渠(かれ)は名を竹中時雄と謂った。」……三人称の私小説
    • 「あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」……本当に愛情があったのか?
    • 芳子は作家・時雄を慕って上京したが、この小説からは彼がどの程度の作家だったのかわからない。
  • 語り手論
    • 漱石三四郎』 は主人公の視点で書かれている。視点人物。作品内。焦点化。この手法は20世紀の小説に多い。
    • 漱石 『明暗』 は、津田→お延→津田、と視点が変わる。
  • 私小説はきちんと定義されたことがない
    • (小谷野説)私小説は、自分の生活を題材にしたものをいうのだと思う。
    • 相原和邦は、「漱石の 『道草』 は事実と異なるから私小説ではない」 と主張した。
    • 小林秀雄は、西洋流に社会化されていないものを私小説と呼んだ。
    • テクスト外の知識を入れなければ、事実かどうかわからない。
    • 後の研究によって明らかになる場合もある。
  • 語り手論(つづき)
    • 森鷗外 『雁』……語りの失敗
      • 語り手(友人)が知らないはずのことまで書かれている。(お玉のオナニーなど)
      • 竹森天雄
      • 友人があとからお玉に聞いた、という解釈には無理がある。
  • 三浦太郎
  • 中村光夫の小説 『ある愛』 について
  • 室生犀星 『蜜のあはれ』 は金魚に恋をする小説。その金魚にもモデル(女性)がある。
  • 田山花袋群馬県館林出身。(当時は栃木県だった。)
    • 1990年代に出版された書簡がある。花袋と岡田美知代との間に交わされた手紙。
    • 20代のときに、『ふる郷』 を書いた人気作家だった。
  • 岡田美知代は、芳子のモデル。備後(広島)出身。
    • 兄は実麿(じつまろ)。
    • 神戸女学院
    • 明治37年日露戦争開戦の年に、花袋のもとへ来た。
    • 花袋は従軍記者として朝鮮へ渡った。(『蒲団』では触れられていない。)
    • 「女子(めこ)も赤子(せきし)も」が転じて、「猫も杓子も」になった。
    • お転婆文学好き。男好き。
  • 花袋は洋書読み。フランス文学、ロシア文学などを英訳本で読んでいた。
  • 花袋は晩年の写真が出回っているが、若い頃の写真はもっといい男である。(参考リンク
  • 美知代はそんなに美人ではない。(参考リンク