ヘッセ 『車輪の下』

 『車輪の下』 はヘルマン・ヘッセが1905年に発表した長編小説。ヘッセ自身が少年時代に経験した出来事が書かれ、彼の自伝的小説とされている。
 村一番の秀才少年ハンス・ギーベンラートは神学校へ入学する。神学校というのは大学に進む前の専門学校のようなところで、国の補助金によって運営されており、ゆくゆくは牧師か官僚になるエリートコースの入口である。しかし、ハンスは学校の規律や教師の考えに反発を覚え、学業成績も下がり、しまいには心身を病んで退学してしまう。村へ帰ってからの失意の日々。つかのまの初恋を経て、機械工見習いとして再出発を図るのだが……。


 注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。


 立身出世を息子に望む厳格な父親、エリート教育の “正しさ” を信じて疑わない教師たちによる過剰な期待によって、次第に押しつぶされ、壊れていくハンスの人生は実に悲劇的である。
 しかし、そんな大人たちの中に、一人だけ少年の理解者がいる。くつ屋のフライクおじさんだ。本作の冒頭近く、神学校の入学試験を目前にしたハンスに向かって、フライクは語る。

フライクおじさんは試験の話をし、ハンスの成功を祈って励ました。しかしおじさんのことばの本意は、そんな試験なんてものは、たいしたことじゃない。当たりはずれのあるものだと、いおうとしているのだった。落第したって恥じゃない、どんなにできるものだって落第することはある。ハンスがそんなめにあったら、神様はめいめいの人間にそれぞれ違ったおぼしめしを持っておられ、それぞれの人間にかなった道を歩かせられるのだということを考えてもらいたい、といった。

 一方、落第したらどうしよう? と不安を打ち明けるハンスに対して、村のインテリ牧師は、「落第なんてありえない。」と言って、取り合おうともしない。
 試験に合格し、神学校の寮生活を送るくだりは抽象的・観念的な描写が多く、わかりにくい。この箇所だけ文体・レトリックが違っているのは翻訳によるものかもしれないが、ひょっとしたら作者も書くのがつらかったのではないかと思う。
 結局、神学校を辞めて村へ帰ってくるのだが、ハンスにはさらにつらい現実が待っていた。父親は息子の抱える悩みを拒絶する。かつての友人は皆就職している。幼い頃遊びに行った貧民街の愉快なおっちゃんたちはいなくなったか死んでしまった。生まれ故郷に彼の居場所がないのだ。ハンスは自殺を決意し、首をつる木の枝を選び、遺書を書く。本作の最も痛切な場面である。

 後半は一転して、明るい雰囲気となる。フライクおじさんの娘、幼馴染のエンマとの恋の物語である。“ちょっとエッチな年上のお姉さん”である彼女は、たちまちハンスをとりこにする。あっさりふられてしまうのだけれど、かつての孤独と絶望はどこかへ消え去っている。
 いつまでもぶらぶらしているわけにも行かず、父親のすすめもあって、ハンスは機械工見習いとして就職する。厳しい肉体労働だが、彼はまじめに取り組み、二日間働く。
 三日目の日曜日、ハンスは友人や先輩に誘われ、午後からビールを飲み歩く。ジョッキを傾けながらのおしゃべりは作中最も楽しい場面だ。ヘッセ先生、ノリノリである
 酔っ払って家に帰る途中、ハンスは川に落ちて死んでしまう。(Wikipedia には 「自殺」 と書かれているが、断じてそうではない。彼が死を選ぶとすれば、首をつるはずだからだ。ちゃんとそう書いてある。)

 後半の明るい展開から考えて、ハンスの死という結末はあまりにも唐突である。なぜ彼は死ななければならなかったのだろうか。
 以下は私見である。
 一つ考えられるのは、この自伝的小説において、作者が主人公を死なせてしまうというのは、作者の過去の自分を否定する行為なのではないかということだ。あまりにもつらい過去を葬ることによって、作者が一歩前進するのだとすれば、これを文学上の昇華と呼んでよいのではないだろうか。
 もう一つ考えられるのは、結末部分で再度登場するフライクおじさんに関連する事柄である。彼はハンスの葬儀が終わった後で、ハンスの父親に向かって、村の教師や牧師たちを痛烈に批判する。また、父親とフライク自身の自己批判を行う。我々大人は間違っていたのではないか? と。素朴な信仰者フライクの考えがそのままヘッセの主張であるとすれば、フライクに結末の発言をさせるためにこそ、ハンスの死は必然だったのではないか、と考えるのである。

車輪の下 (新潮文庫)

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