『夜間飛行』に登場する飛行機

夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)

 1993年改版以降、『夜間飛行』(新潮文庫)のカバーには宮崎駿のイラストが用いられている。一方、2010年に刊行された光文社古典新訳文庫版 『夜間飛行』 の扉には、以下の写真が掲載されている。


ポテーズ25型機
『夜間飛行』が書かれた当時、南米で郵便機として使われていた機種のひとつ。2人乗りの小型機で、前方の操縦席にパイロットが乗り、わずかな計器と勘をたよりに空を飛んだ。後部席には、必要に応じて無線通信士や整備士などが同乗した。コクピットは無蓋で、飛行中はエンジン音や風の音が大きいため、パイロットと同乗者はおもに筆談でやりとりをおこなう。
写真はサン=テグジュペリの同僚アンリ・ギヨメが実際に操縦していた機体。後方はアンデス山脈。1930年撮影。


 二木麻里訳 『夜間飛行』(光文社古典新訳文庫) 扉

 宮崎駿のイラストはどう見てもポテーズ25型とは異なっている。飛行機マニアの宮崎がなぜこのような絵を描いたのか、ちょっと謎めいているのだけれども、宮崎は 『人間の土地』(新潮文庫)の巻末解説に種明かしを書いている。

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

 最初に使われた機体は、ブレゲ-14。戦時に造られた単発複座の軽爆撃機を改造したものだった。300馬力のエンジン、無骨な機体、最高速力は時速で、180km程。計器類は単純そのもの、雲中の盲目飛行は自殺を意味する。ナビゲーションシステムなど何もない。地上の目標をたどりつつ、時速70kmの向い風の中でも飛ばなければならない。


 宮崎駿 「空のいけにえ」 『人間の土地』(新潮文庫) 巻末解説

 ブレゲ-14 というのは以下の飛行機である。


ブレゲー 14(Breguet 14)は第一次世界大戦におけるフランスの複葉爆撃・偵察機。大戦終了後も長期にわたって生産が続けられ、総生産機数は約7,800に及んだ。


ブレゲー 14 - Wikipedia

 おそらく 『夜間飛行』 のカバーに描かれたのは、ブレゲ-14 なのだろう。上に引用した宮崎の解説は、サン=テグジュペリとは直接関係なく、20世紀初頭の航空機の歴史について述べた一節だが、『夜間飛行』 に登場する飛行機とはだいぶスペックに差があり、年代も10年くらい古い。(しかも、「空のいけにえ」 が書かれたのは1998年。後だしである。)

発動機の五百馬力が金属の中にいともおだやかな流れを生んで、その冷たさを天鵞絨(びろうど)の肉に変えた。


 サン=テグジュペリ 『夜間飛行』(堀口大學訳) 1

一台の機を、二百キロの快速で、暴風雨と、霧と、夜が秘め隠している千百の障害物に向って放つということは、彼らの目からは、わずかに軍事飛行にのみ許される冒険としか思えなかった。


 サン=テグジュペリ 『夜間飛行』(堀口大學訳) 11

 エンジンの性能、巡航速度といった記述を読むかぎり、ここに登場するのはポテーズ25型のほうに近いことがわかる。


ポテーズ 25(Potez 25またはPotez XXV)は1920年代に設計されたフランスの単発複座複葉機。第一線で多種の用途に使用されることを目的として作られた多目的戦闘爆撃機であり、戦闘、護衛、戦術爆撃、偵察などを任務とした。1920年代後半から1930年代初めにかけて、フランス、ポーランドソビエト連邦アメリカ合衆国などを含む20ヶ国以上の空軍で標準的な多目的機として用いられた。また民間用としても人気があり、特に郵便機として活躍した。


Potez 25より画像引用。

 ブレゲ-14 のほうが航続距離は長いようだが、果たしてこのスペックでアンデス山脈を越えることが出来たのかどうか。
 それから、300馬力と500馬力はどれくらい違うのかわかりにくいのだけれど、どちらも軍用機であり、民間の軽飛行機に比べたらはるかに高性能なのだ。例えば、1950年代以降に普及したセスナ172型 *1 は4人乗り、単発160馬力である。*2
 見た目で考えると、ブレゲ-14 のレトロな機体も魅力的だけれど、ポテーズ25 の洗練されたデザインも捨てがたい。
 21世紀の今日からみれば似たようなものなのかもしれない。だが、『夜間飛行』 は当時の最新テクノロジーと、それによって大きく変わりつつある人間の歴史を描いた小説である。この小説の真の主人公は、操縦士ファビアンでも、支配人リヴィエールでもなく、ポテーズ25 であったと、僕は考えることにしたい。

*1:Cessna 172 - Wikipedia参照

*2:ちなみに、零式艦上戦闘機 - Wikipedia によると、旧日本海軍零式艦上戦闘機のエンジンは1,000〜1,500馬力だった。ケタが違うのである。