芥川龍之介 『羅生門』

 『羅生門』 とはどのような小説か? と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。
 失業した下人が、死人の髪の毛を抜いている老婆に出会い、自らもまた老婆の着物を盗む話。 ――と答える人がほとんどではないだろうか。なるほど、ストーリーはそのとおりだ。そして、それだけなのである。主人公の下人が盗みを働くまでの心境が書かれているけれども、「饑死をするか盗人になるか」 という極端な選択は短絡的すぎるし、読者にとっては何の驚きも教訓もなく、正直どうでもいい話なのだ。
 だが、ここで下人という人物がどんな風に描かれているか、もう一度読み返してみることにしたい。
強調部は引用者による。

下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿(うみ)を持った面皰(にきび)のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。

 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰(にきび)を気にしながら、聞いているのである。

 老婆の話が完(おわ)ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰(にきび)から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」

 わずか10ページの小説の中に、面皰(にきび)の描写が4回も出てくる。主人公の相貌を表すためだけなら、こんなに執拗な書き方はありえない。むしろ、下人が顔面の面皰(にきび)を常に気にしている点、場面が転換する重要な箇所で面皰(にきび)を触っている点に注目したい。
 顔面に出来た腫れ物の違和感、痛み痒みといった不快感、そして皮膚感覚が心理に及ぼす影響が本作の全体を貫いていることがお分りいただけるかと思う。極論だが、老婆の着物を盗む話なんてどうでも良くて、全く別の説話を引用したとしても成立してしまうのではないだろうか。
 『羅生門』 は芥川が大正4年に発表した小説。翌年発表の 『鼻』 は、この身体的な違和感をさらに誇張して、滑稽の域に達した名作である。また、同年の 『芋粥』 の主人公 《赤鼻の五位》 は 「久しく湯にはいらないので、体中がこの間からむず痒い。」 というような人物だ。その上、大量の芋粥を調理する場面では、全員の体がかゆくなるはずである。
 ひょっとしたら、芥川は水虫いんきん田虫蚤虱のたぐいに悩まされていたのではないか。想像するだけで、体中が痒くなってきた。


羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)