サン=テグジュペリ 『南方郵便機』

 1920年代のアフリカ北西部、カサブランカダカールの中間あたり。郵便飛行機の操縦士ジャック・ベルニスは、機体のトラブルによりサハラのフランス軍小屯所に不時着する。彼を迎えるのは一人の老軍曹。ここには半年に一度しか郵便が届かないのだと軍曹は語る。(無線機がないのか、あるいは軍曹がその使い方を知らないのかわからない。)

 ベルニスは、老軍曹と一緒に、煙草を喫(の)みに屯所のテラスへ上る。月の光に砂漠はその果てしない空漠さをひろげている。ここの屯所は何の見張りをしているのやら? たぶん星の。あるいは月の見張りかもしれない……。
 ――君は星の見張りをする軍曹なんだね?」
 ――そうおっしゃらずに、もう一服召し上がって下さい。煙草はうんとあるんですから。もっとも連隊長がおいでの時はありませんでした」
 ベルニスはその時同行して来た中尉殿のことも、その連隊長のことも、すっかり憶えてしまった。彼は彼らの唯一の短所、唯一の長所まで知ってしまった。一人は賭博(ばくち)が好きで、一人は思いやりがありすぎた。彼はまた教えられた。砂漠の中に置き忘れたように置かれている老軍曹への若い中尉殿の来訪が、ほとんど恋愛のような思い出を残して行ったことも。
 ――中尉殿から星のことを教えてもらいました……」
 ――そうか、たぶん、星の世話を君に頼んで行ったのだろう」と、ベルニスがからかい半分に言った。
 そして今度は彼が自分で星の説明をしてきかせた。そして軍曹は星の距離を教わった。彼はまた同じく遠いところにある故郷のチュニスのことを考えた。北極星を教えられると、彼はどこで見てもわかるように、必ずあの星の顔を忘れずに覚えておきますと誓った。ちょっとばかり左手寄りにいつもあるからすぐ知れる、こう言って、彼は、あの星に比べたらあんなに近いところにあるはずのチュニスを思った。


 サン=テグジュペリ 『南方郵便機』 第三部 6 (堀口大學訳)

 上の引用箇所は140ページほどの長さの小説の結末直前の場面である。砂漠に不時着した飛行士の前に唐突に現われ、いきなり親しげに近づいて不思議な会話をする老軍曹は、のちに星の王子さまに化けることになる。
 こういうファンタスティックな描写はすばらしいと思うのだけど、本作はここに至るまでがだらだらと長く退屈である。恋愛小説の部分と飛行士の冒険を描いた部分がきちんと絡んでいない。無理やり前衛風に書いたと思われる場面が多く、小説としては決して面白い作品とはいえない。



夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)

 宮崎駿が描いたカバー絵が素敵な新潮文庫版。ただし、1930年代の翻訳(戦前!)であり、女性のセリフは「あらッ! もうそんな時間ですの?」という具合である。
 なにしろ、本書を訳した堀口大學(1892-1981)という人はサン=テグジュペリ(1900-1944)より年上なのだ。巻末に訳者によるあとがきがついているのだが、『夜間飛行』 のあとがきは1939年5月、『南方郵便機』 のあとがきは1935年2月と記されている。

 小説『南方郵便機』は、先に翻訳紹介した『夜間飛行』の作者サン=テグジュペリの処女作である。『夜間飛行』に先立つこと二年、一九二九年の出版である。この作者は今日まで、まだ上記の二作しかない。


 堀口大學 『夜間飛行』(新潮文庫) あとがき 二 南方郵便機

 原著者はまるっきり新人扱いであって、当然ながら王子さまなど影も形もない。もっとも飛行家としてはかなり有名であったらしく、そのような紹介のされかたになっているのが興味深い。