森鷗外 『山椒大夫・高瀬舟』

 短編集(新潮文庫)の感想まとめ。

『杯』

「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」

  • 七人の娘が持つ銀の杯には 「自然」 の銘がある。彼女たちはその杯で泉の水を飲もうとするが、八人目の娘が持つ杯を見て嘲る。
  • 当時隆盛を極めた自然主義文学に対する反抗、ということなのだろうけれども、今風に解釈すると、同調圧力に屈しない生き方を描いた寓話といえるのではないか。そういう読み方をすると面白いと思う。

『普請中』

 廊下に足音と話声がする。戸が開く。渡辺の待っていた人が来たのである。麦藁の大きいアンヌマリイ帽に、珠数飾りをしたのを被っている。鼠色の長い著物式の上衣の胸から、刺繍をした白いバチストが見えている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはヴォランの附いた、おもちゃのような蝙蝠傘を持っている。

  • 部屋に入ってきたのは主人公渡辺の昔の愛人であった。
  • それにしても、上の文章はいかにも悪趣味である。英仏独語の入り混じったカタカナや横文字が延々と並んでいる。文庫本には巻末に注がついているが、本作が発表された明治43年当時の読者は、このわけのわからない小説をどう受け止めたのだろうか。

カズイスチカ』

  • 医者が主人公の話。面白くはない。

『妄想』

  • 形而上学を主題とした主人公の独白が延々と続く。悪趣味を通り越して、不快である。

『百物語』

  • 怪談を次々に聞かせる 《百物語》 を聞きに行く話だが、主人公 《僕》 の関心は専ら集まった人々と謎めいた主催者に向かうばかりである。
  • 人間観察という意味ではそこそこ面白くはあるのだが、どうせなら思い切り泉鏡花あたりに喧嘩を売ってほしかった。

『興津弥五右衛門の遺書』

  • 切腹する主人公の遺書(候文)が大半を占める作品。
  • 大正元年10月発表であり、明治天皇崩御乃木希典殉死の直後にあたる。鷗外の小説はこれ以降、自殺・殉死・殉教・死刑といったテーマの作品が多くなり、俄然面白くなる。いずれも、死に行く主人公に 《死》 への迷いが全くないのである。
  • もっとも、本作は読みにくいばかりで、それほど面白くはない。

『護持院原の敵討』

 二十八日に三右衛門の遺骸は、山本家の菩提所浅草堂前の遍立寺に葬られた。葬(とむらい)を出す前に、神戸方で三右衛門が遭難当時に持っていた物の始末をした時、大小も当然倅宇平が持って帰る筈であったが、娘りよは切に請うて脇差を譲り受けた。そして宇平がそれを承諾すると、泣き腫らしていた、りよの目が、刹那の間喜(よろこび)にかがやいた。

  • 主人の敵討のため、遺族と家来が諸国を延々と旅する話。
  • 宇平は途中で脱落し、最後まで出てこないのだが、りよの執念は凄い。

山椒大夫

  安寿恋しや、ほうやれほ。
  厨子王恋しや、ほうやれほ。

  • この短編集では一番好き。安寿かわいいよ安寿。
  • 説話ものを書かせたら、芥川だって鷗外には及ばない。大傑作である。

『二人の友』

  • 『鶏』 と同じく、鷗外が小倉に左遷された頃の話。
  • F君と安国寺さんという二人の友人にまつわる話なのだが、《私》 の自分語りが多すぎて、つまらない。

最後の一句

「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞届けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることは出来ぬが、それでも好いか」
「よろしゅうございます」と、同じような、冷かな調子で答えたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上(かみ)の事には間違はございますまいから」と言い足した。

  • 詐欺により斬罪を宣告された父の許しを願って、子供たちが奉行所に自分たちが身代りになるから父を許してくれと申し出る。
  • 無茶苦茶な話だが、長女いちの投げた一句は役人たちの胸を刺す。傑作である。

高瀬舟

 庄兵衛の心の中には、いろいろに考えて見た末に、自分より上のものの判断に任す外ないと云う念、オオトリテエ*1に従う外ないと云う念が生じた。庄兵衛はお奉行様の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。

  • 欲望と無欲、安楽死という二つの主題を描いた作品。特に、安楽死を描いた文学作品として、未だに古びない名作である。
  • 罪人の喜助を護送する下級官吏、庄兵衛は、この難しい問題に直面し、最後は思考停止してしまう。《お上の判断に任せる》 という言葉は、『最後の一句』 と同様だが、全く異なった意味で用いられているのが興味深い。


山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

*1:オーソリティ。権威の意。