節子の妊娠

 4人の子供を残して、妻が亡くなってから三年。四十二歳の男やもめ岸本捨吉は、上の二人の男の子を育てている。(下の二人は親類に預けている。)彼のところには、姪の節子が家の手伝いに住み込んでいる。

 ある夕方、節子は岸本に近く来た。突然彼女は思い屈したような調子で言出した。
「私の様子は、叔父さんにはもうよくおわかりでしょう」
 新しい正月がめぐって来ていて、節子は二十一という歳を迎えたばかりの時であった。丁度二人の子供はそろって向いの家へ遊びに行き、婆やもその迎えがてら話し込みに行っていた。階下(した)には外に誰も居なかった。節子はごく小さな声で、彼女が母になったことを岸本に告げた。


 島崎藤村 『新生 前編』 第一部 十三

 節子は岸本の次兄の次女にあたる。前作 『家』 に登場した二人の姪とは別人である。(『家』 の隅田川の花火の場面に、少女時代の節子がちょっとだけ登場しており、『新生』 では同じ場面が回想されている。)
 上の引用箇所は、前編43ページである。主人公が姪と関係する話だと聞いてはいたが、こんなに最初のほうで事件が起きるとは思わなかった。その前には何の予兆もないのである。
 いきなりの展開。これからどうなって行くのか。読者はこの、底なし沼のような小説の世界に引きずり込まれていく。