節子の手紙

 次兄義雄家族は谷中へ転居し、捨吉は高輪に戻るが、その後、愛宕下に住居を移している。そのころ、節子は週末ごとに叔父の家に通う日々であった。

 「先日お話のあったことを書いてお目にかけます。いちばん最初わたしの上がったころの叔父さんはほんとにこわいかたでしたよ。だって、毎日毎日あんなに黙って、こわい顔ばかりしていらしったんですもの。それに泉(せん)ちゃんたちのことと言えば、前にいけないとおっしゃったことでも、あとでしてやればいいじゃないかって、しかられてしまうんですもの。どうしていいかわかりませんでしたよ。ですからね、そのころはただ気づかいな、こわいかただったけれども、肩なんかもんであげるようになってから、だんだんこわくなくなりましたよ。そればかりでなく、今までわたしなんかもうほんとうにだれからもやさしくなんてして頂いたことはありませんでしたから、家でも、根岸*1でも、学校でもね。わたしの周囲(まわり)にあったものは、そうですねこう威圧というようなものばかりだったんですもの。ですから今とはとても比べものにはなりませんけれど、あのころでさえほかのどんな人よりやさしくしてくださるのがうれしかったの。……(中略)……どうかすると叔父さんがにくらしくてにくらしくてね。三日ばかりそんな日が続いたことがありました。けれど急にいろんなものが、今まで知らなかったものが見えて来ました。それからは一方では憎みながら、一方ではやっぱり囚(とら)われていたんですね。時によると憎みがよけいに頭を持ち上げたり、時にはその反対のこともありました。それからあの母になったことを知ったころからは、両方ともよけいに深いものになって行ったんですね。遠い旅にお出かけになるなんてことをうかがった時は、不思議なくらいに思いましたよ。その時はもう離れられないものになっていましたから。……(中略)……神戸をさして行っておしまいになってからは、それが皆思いやりというようなものに変わってしまいましたのよ。そして長い間にだんだん叔父さんに見つけたものばかりが、ほかの人の持っていないものだと思うようなものばかりが残りましたのよ。それからはもうほんとうに好きになってしまいましたの。
 ――まだ書かなくちゃなりませんけれど、お父(とっ)さんがいつもすぐそこの御座敷にばかりいらっしゃるんですもの。気が気じゃありません。次郎ちゃんも来て、いたずらばかりして書けませんから、またこの次にね。」


 島崎藤村 『新生 後編』 第二部 九十五

 人から愛されることのなかった少女時代。叔父との愛憎半ばする感情の動き。それらを綴った節子の手紙は感動的である。しかし、だからこそ、このままではいられない。このままで居続けることは許されないのだ。
 捨吉は虚偽の生活を懺悔し、全てを世に公表することを思い立つ。カタストロフの始まりである。

*1:捨吉の長兄(台湾在住)の留守宅のこと。