別れ

 捨吉は一連の出来事を小説に書いて発表する。自らの所業や立場を隠し、世間に嘘をつき続けることを潔しとせず、《告白》 を選ぶという生き方は、『破戒』 の主人公瀬川丑松と全く同じである。
 捨吉が書いた 《小説》 は新聞に連載されたのだから、社会的にも相当話題に上ったのだろうけれども、藤村はそのことには触れず、淡々と家族間の揉め事を描くのみである。小説発表の直前に、節子の母が病死する。小説を読んだ義雄は怒り、捨吉に絶縁状を送る。節子は義雄の家になかば軟禁状態におかれ、捨吉のほうからは手紙すら送ることの出来ない状態となる。しかし、節子からは何度も手紙が届き、時々電話もかかってくる。
 以下は節子が父親に宛てた手紙。捨吉あての手紙に、写しが同封されていたものである。

 ――まず申し上げたきは親子の間に候。親の命(めい)に服従せざるごときは人間ならずとは仰せられ候えども、そはあまりに親権の過大視には候わずや。かく言えばいたずらに親を軽視するものとの誤解を候わんなれども、決して決してさる意味にて申し上ぐるにはこれなく候。……(中略)……
 ――自己の過ちを悔いもせず改めもせで、二度(ふたたび)これを継続するがごときは禽獣の行為なりと仰せられ候。まことに刻々として移り行く内部の変化を顧みることもなく、ただ外観によりてのみ判断する時は、あるいは世の痴婦にも劣るものとおぼさるべく候。すべてに徹底を願い、真実を慕うおのが心のかの過ちによりていかばかりの苦痛を重ねしか。そは今さら云々いたすまじ。最後の苦汁の一滴までのみほすべき当然の責(せめ)ある身にて候えば。されど孤独によりて開かれたるわが心の眼はあまりに多き世の中の虚偽を見、なんの疑うところもなくその中に平然として生息する人々を見、耳には空虚なる響きを開きて、かかるものをいとうの念はさらに芭蕉の心を楽しみ、西行の心を楽しむの心を深くいたし候。わが常に求むる真実を過ちの対象に見いだしたるは、一面より言えば不幸なるがごとくなれど、必ずしも然(しか)らで、過ちを変じて光あるものとなすべき向上の努力こそわが切なる願いに候。
 ――おのが生きんとする道を宗教にえらびたるは、一つは神を求むる心より、一つはかの嘆きの底より浮かびたる時にあたり恐るべき世の冷たさに触れ、その悔悟も熱心もついに多くの罪人らの自棄に陥る道にいたるべきことを見いだしたるにほかならず候。……(以下略)……


 島崎藤村 『新生 後編』 第二部 百十九

 次の百二十章には、同封のもう一通、捨吉あての手紙が引用されていて、節子が再度の縁談を断り、父親と大喧嘩した模様が書かれている。上の候文の手紙は、そのあとで節子がしたためたものだ。前回引用した甘ったれたような調子の手紙とは極端に異なったものだが、彼女の苦しみとともに、自身の立場、考えを明らかにしていることがわかる。捨吉が自己の行いを告白し、家族間の関係を清算することのみに囚われている(ように思える)のに対し、節子の考えは遙かに先へと進んでいるのである。
 結局、他の親族のとりなしもかなわず、節子は台湾の伯父(捨吉の長兄)のもとへ引き取られることになった――彼女は電話口でそう捨吉に告げる。

 「そうか。いよいよ台湾の兄貴が出て来るかね。」と岸本は言った。
 「お前もぜひお願いするがいい――自分のほうから進んでお供をするがいい――」
 「わたしもそう思いまして――」と節子の声で。
 「今度はそっちが旅に出かける番だね――」
 それを岸本が言うとしばらく聞かない節子の楽しい笑い声が彼の耳に伝わって来た。
 岸本は堅く閉ざされた大きな扉を隔てて、その内(なか)と外とで節子と言葉をかわすような思いをした。
 電話が切れたあとのシーンとした沈黙は谷中のほうの夏の夜へ、明るく電燈のついた町中の自働電話室へ、その電話口に立つ節子のほうへ岸本の心を誘った。


 島崎藤村 『新生 後編』 第二部 百二十七

 まるで映画の一場面のような光景である。『新生』 は大正の日本が生んだ最高の恋愛小説だったのだ。