田山花袋 『少女病』
37歳の主人公、杉田古城は文学者である。若い頃は多少売れる小説も書いたが、最近は鳴かず飛ばず。出版社で校正の仕事に追われる日々である。しかし、仕事の合間にも、美文新体詩を書き、少女の美しい姿を想像しては原稿用紙に向かっている。同僚は杉田を揶揄して、こんなことを言う。
そんな彼の、文学以外の趣味は、通勤電車の中で見かける少女を観察することであった。「少女万歳ですな!」
杉田の住まいは千駄ヶ谷である。当時は田圃の広がるのどかな郊外だった処だ。春の朝、彼が代々木から電車に乗ると、はす向かいに二人の少女の姿がある。
少女を観察するには 「七分くらいに斜(はす)に対して座を占めるのが一番便利」 だと書かれているとおりだが、この観察力は常軌を逸している。年上の方の娘の眼の表情がいかにも美しい。星――天上の星もこれに比べたならその光を失うであろうと思われた。縮緬(ちりめん)のすらりとした膝のあたりから、華奢な藤色の裾、白足袋をつまだてた三枚襲(さんまいがさね)の雪駄、ことに色の白い襟首から、あのむっちりと胸が高くなっているあたりが美しい乳房だと思うと、総身が掻(か)きむしられるような気がする。一人の肥(ふと)った方の娘は懐(ふところ)からノートブックを出して、しきりにそれを読み始めた。
千駄ヶ谷では 「不器量な、二目とは見られぬような若い女」 が乗ってくる。
信濃町では収穫なし。
四ツ谷から18歳くらいの美しい女学生が乗車する。彼女は混雑する車内で、杉田の前に立った。
杉田は結婚して子供も二人いる。だが、若い頃の妻への情熱はとっくに冷めている。出版社の仕事はつまらない。こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今までにも既に幾度となくその嬉しさを経験した。柔かい着物が触る。えならぬ香水のかおりがする。温かい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪の匂いというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。
「死んだ方が好い」 を3回も繰り返すくらい、絶望しているのである。午後三時過ぎ、退出時刻が近くなると、家のことを思う。妻のことを思う。つまらんな、年を老(と)ってしまったとつくづく慨嘆する。若い青年時代をくだらなく過ごして、今になって後悔したとてなんの役にたつ、ほんとうにつまらんなアと繰り返す。若い時に、なぜはげしい恋をしなかった? なぜ充分に肉のかおりをも嗅(か)がなかった? 今時分思ったとて、なんの反響がある? もう三十七だ。こう思うと、気がいらいらして、髪の毛をむしりたくなる。
(中略)
いくら美しい少女の髪の香に憧れたからって、もう自分らが恋をする時代ではない。また恋をしたいたッて、美しい鳥を誘う羽翼(はね)をもう持っておらない。と思うと、もう生きている価値(ねうち)がない、死んだ方が好い、死んだ方が好い、死んだ方が好い、とかれは大きな体格を運びながら考えた。
帰りの電車では混雑のため、車掌のいる所に割り込んで、扉の外に立ち、真鍮の棒につかまっている。ふと見ると、車中に美貌の令嬢がいる。混雑とガラス越しのため、杉田はその姿に見とれてしまう。市谷を過ぎたあたり、電車が急に揺れ、他の乗客に押された彼の手は真鍮の棒から離れ、その体は線路に転がり落ちる。そこへ反対方向から上り電車が走ってきて……
田山花袋 『少女病』 は、明治40年に発表された短編小説である。
「何この変態!」 と一言でまとめてしまうことのできるような話ではあるが、車内光景の描写、主人公の心理描写ともに、すさまじいまでのリアリティを感じさせる。
本作には名前を持った女性は一人も登場しない。ここに描かれる 《少女》 たちは記号にすぎず、彼女たちの容姿(の一部)が極端にまで美化され、主人公の中で理想化されているのである。
かつて1980年代には女子大生ブーム、90年代には女子高生ブームがあった。そして、似たような意味の少女ブームは現在に至るまで続いている。逆に、時代を遡っていくと、100年前に書かれたこの小説にたどり着くのではないか。『少女病』 は現代にも通じる 《記号化された少女》 と、都市生活の憂鬱と、中年の悲哀とを余すところなく描いた名作なのである。
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