語尾に『か』をつけない質問文の用例

「なぜ『か』を付けないの?」と言われてしまいました。 : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 読売新聞
 発言小町の質問と回答を読んで、ちょっと興味を覚えたので、夏目漱石の小説の中から、語尾に終助詞の 『か』 がついていない質問文の出てくる会話を集めてみた。(強調部は引用者による。)
【その1】
 『吾輩は猫である』 より。苦沙弥先生の細君が迷亭を何やら問い詰めている場面。

「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、あまり乱暴ですわ」「しかし月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不満な様子で「一体、月並月並と皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並なんです」と開き直って月並の定義を質問する……


 吾輩は猫である』 三

【その2】
 『坊っちゃん』 より。四国に向かって出発しようとする主人公と婆やの清の会話。

それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。


 坊っちゃん』 一

【その3】
 『草枕』 より。読書中の主人公 《余》 とヒロイン那美の会話。

「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
「なあに」
じゃ何が書いてあるんです
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」


 草枕』 九

【その4】
 『それから』 より。主人公代助の家の書斎で、ヒロイン三千代が鈴蘭の鉢の水を勝手に飲んでしまう(ちょっと官能的な)場面。

代助は湯呑を持ったまま、茫然として、三千代の前に立った。
どうしたんです」と聞いた。三千代は例(いつも)の通り落ち付いた調子で、
「難有(ありがと)う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だったから」と答えて、鈴蘭の漬けてある鉢を顧みた。(中略)
「何故あんなものを飲んだんですか」と代助は呆れて聞いた。
「だって毒じゃないでしょう」と三千代は手に持った洋盃(コップ)を代助の前に出して、透かして見せた。
「毒でないったって、もし二日も三日も経った水だったらどうするんです
「いえ、先刻(さっき)来た時、あの傍まで顔を持って行って嗅いでみたの。その時、たった今その鉢へ水を入れて、桶から移したばかりだって、あの方*1が云ったんですもの。大丈夫だわ。好い香(におい)ね」


 『それから』 十

【その5】
 『こころ』 より。先生と私の会話。

「私は淋しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
そりゃまたなぜです
 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。


 『こころ』上 先生と私 七

 引用はこれくらいにして、漱石作品におけるこの語法の共通点についてまとめてみよう。

  • 語尾に 『か』 がついていないものばかり引用したが、実際には 『か』 がついているケースのほうが圧倒的に多い。
    • 特に 『こころ』 における 《私》 の台詞は 「〜ですか」 が畳みかけるように用いられている。
  • 男女、身分の高低、目上目下に関係なく用いられている。
    • 『か』 をつけないからといって、失礼にあたるわけではない。
  • 『?』 がついていなくても、質問であることがわかるように書かれている。
    • クエスチョンマークそのものは他の会話場面では多用されている。
    • 特にデビュー作の 『吾輩……』 では、「何を?」、「どうした?」 という風に効果的に用いられている。
  • 質問文の中に、「何」、「どんな」、「どっち」、「なぜ」 といった(英語でいう)疑問詞が必ず含まれている。
    • 「こちらでよろしいですか」 のように相手の許可を求める場面では用いられない。(例外があるかもしれないが、見つけられなかった。)

 漱石作品のみを以って日本語全般を論じるつもりはない。また、百年前の小説の文章を、現代人の言葉遣いに当てはめるには無理があろう。しかし、発言小町の回答欄にあるように、この語法を 「乱れた日本語」 と断ずるのはいくらなんでも横暴だ。少なくとも、上に引用した漱石作品の登場人物たちの日本語は乱れてはいないのである。
 現代人の会話に限っていうなら、重要なのは TPO と地域差である。地域差にも二通りあって、一方は関東と関西のような地理的な違い、他方は下町と山の手のような文化の違いがあるのではないか。このような違いについては互いに寛容でありたいと思うのだが、相手に誤解を与えないようにすることもまた必要なのだと思う。


それから (新潮文庫)

それから (新潮文庫)

*1:引用者註:あの方=代助の家の書生門野をさす。