谷崎潤一郎 『熱風に吹かれて』

「まあ、緩(ゆっ)くり話しましょう」と云って、巻烟草に火を点けた。三千代の顔は返事を延ばされる度に悪くなった。
 雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香(か)の中に封じ込められた。
「先刻(さっき)表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随(つ)いて室の中を一回(ひとまわり)した。その後で三千代は鼻から強く息を吸い込んだ。


 夏目漱石 『それから』 十四

 夏目漱石 『それから』 (明治42年)で、主人公代助が三千代に告白する、最もロマンティックな場面である。
 それが、谷崎潤一郎 『熱風に吹かれて』 (大正2年)では以下のようになる。同じく、主人公輝雄が友人の恋人英子に告白する場面である。

「仕方がない、そんなら僕から話しましょう。」
「えゝ、どうぞ。」
こう云って戻って来ると、英子は彼と差し向かいの椅子に凭りながら、煽風器のスウィッチへ手を掛けて更に速力を早めた。其れは羽車の唸りを利用して、二人の会話を室外に洩らすまいとの手段であった。


 谷崎潤一郎 『熱風に吹かれて』 八

 漱石は雨音と白百合の香とに、二人の男女を封じ込めたのだが、谷崎の場合は 《煽風器》 である。ちょっと先を読むと、「其の間も煽風器は始終ビュウ、ビュウと鳴って居た」 などと書かれているくらいだから、よほど大きな音だったのだろう。男と女が恋を語る雰囲気には程遠く、いくらなんでもあんまりである。
 『熱風に吹かれて』 は、高等遊民気取りの斎藤という男(実はあちこちに借財を重ねているだけの遊び人)と同棲している英子を、輝雄が奪うという話であり、『それから』 を裏返しにしたような三角関係の物語になっている。というよりも、上に引用した 《煽風器》 の場面などを読むかぎり、『それから』 のパロディのつもりで書かれたのではないかと思う。
 140ページほどの中編の割に無駄な場面が多く、全体としてはだらだら長い感じのする小説だが、見どころも多い。

二人はそれから稍(やや)長い間、互いに別々の胸を抱いて、黙って浜を歩き始めた。……(中略)……千代田草履を穿いて居る英子の素足は、水に光った砂の色との対照から、一と際神々しく色白に見えて、今更此れ程に美しい人を、路傍に擦れ違う旅人の如く遇する事が、輝雄には堪え難い口惜しさであった。


 谷崎潤一郎 『熱風に吹かれて』 七

 このような女の足の描写が何度も出てくる。足フェチ谷崎の真骨頂といえよう。