夏目漱石の「月が綺麗ですね」にまつわる考察と中勘助 『銀の匙』

 中勘助明治18年に東京で生まれ、昭和40年に没した作家・詩人である。(谷崎潤一郎より一つ年上であり、谷崎と同年に亡くなった人だ。)彼は東京帝国大学英文学科で夏目漱石の講義を受け、のちに国文学科に転じた。明治44年に執筆した 『銀の匙』(前篇) が漱石に注目され、同作は東京朝日新聞に連載された。大正2年に書かれた同後篇も同じく新聞に連載された。*1
 本作は作者の自伝的小説である。幼少時代の回想がほとんどを占めており、子供の頃の出来事が子供の頃の視線で、時に美しく、時に醜く描かれている。前篇の前半は 「よくこんな細かいことを覚えてるなあ」 と思わせるようなエピソードが順不同に並べられているが、小学校に上がるあたりから次第に主人公 《私》 の成長過程がストーリーの軸になって行く。ときどき 《私》 が幼い頃の出来事を回想する場面があるのだが、「あっ!」 と声を出して驚いてしまうほど効果的な挿入の仕方だと思う。

私はあらゆる思いのうちでもっとも深い名のない思いに沈んでひと夜ひと夜不具になってゆく月を我を忘れて眺めていた。……そんなにしてるうちにふと気がついたらいつのまにかおなじ花壇のなかに姉様が立っていた。月も花もなくなってしまった。絵のように影をうつした池の面にさっと水鳥がおりるときにすべての影はいちどに消えてさりげなく浮んだ白い姿ばかりになるように。私はあたふたとして
「月が……」
といいかけたが、あいにくそのとき姉様は気をきかせてむこうへ行きかけてたのではっとして耳まで赤くなった。


 中勘助銀の匙』(後篇) 二十一

 《私》 は十七歳の夏を友人の別荘で過ごしている。友人はなぜか不在なのだが、友人の姉(人妻!)とそこで出会う、という場面である。美しい文章の中に、少年の淡い恋心と密かな官能が巧みに描かれていると思う。


夏目漱石 月が綺麗ですね - Google 検索
 さて、英語教師時代の夏目漱石が "I Love you." を 「月が綺麗ですね」 と訳しなさいと教えた、という有名なエピソードがある。漱石自身が文章に著したものではないらしく、出典不明の伝承としてなかば都市伝説のような形で語り伝えられている逸話である。
 東北大学附属図書館のブログ、漱石の「アイ・ラブ・ユー」 - 大学生のための情報検索術によると、2007年3月18日付読売新聞のエッセイ 「よむサラダ」 で茂木健一郎が取り上げたと書かれているが、ネット上での伝播はもっと古く[mixi] 夏目漱石 | 月が綺麗ですね。 のトピックが2006年9月に立てられている。同図書館の記事ではさらにさかのぼって、小田島雄志珈琲店シェイクスピア』(晶文社、1978年9月)を挙げている。

より正確には、『珈琲店シェイクスピア』に収録されている
小田島雄志氏とつかこうへい氏の対談「平戸間から見たシェイクスピア」の中で、
つかこうへい氏が、漱石は「アイ・ラブ・ユー」を「月がとっても青いから」と翻訳したと
発言しており、やはり対談という性格上、このエピソードの出典は明示されては
いません。


漱石の「アイ・ラブ・ユー」 - 大学生のための情報検索術

 1970年代にはこの逸話がすでに流布されていたことがわかるのだが、「月がとっても青いから」 は昭和30年代の流行歌の題名*2であり、つかこうへい発言も又聞き(しかも勘違い)の域を出ない。
 エピソードが漱石自身によって書かれたものではなく、かつ漱石発言が事実であるとしたら、この逸話を語り伝えたのは漱石に英語を教わった学生ということになるが、その学生とは誰なのか?
 ここで一つの仮説を考えたいと思うのだが、学生のうちの一人は中勘助ではなかったか。理由は上に引用した 『銀の匙』 の 《私》 が姉様と語らう場面にある。「月が……」 という台詞はあきらかに love を意識している。漱石の逸話が事実であったなら、その影響を受けていると考えることができるだろう。逆にこの場面が漱石の影響などではなく、中の完全な創作だとしたらぶっ飛び過ぎているような気もする。
 また、漱石の自伝的小説 『道草』(大正4年) の中に頻出する幼少期の回想場面は、多分に 『銀の匙』 の影響を受けているようにも思われる。夏目漱石中勘助。この二人には単なる師弟関係にとどまらず、より深い文学上のつながりが存在したのではないだろうか。


銀の匙 (岩波文庫)

銀の匙 (岩波文庫)

*1:作品の執筆年代については、『銀の匙』(岩波文庫) の巻末に収録されている和辻哲郎の解説(昭和十年)による。

*2:作詞 清水みのる・作曲 陸奥明・唄 菅原都々子。昭和30年発売。