「光の春」の語源を探ってみた

 むかし、会社関係の年長のかたから、「光の春」という言葉を教えていただいた。
 光の春〜つまり冬至を過ぎて立春の 2月4日の間、光は「畳の目」一つづつ長くなる。詳しい定義は、いつか読売新聞のコラムに倉嶋さんという一世を風靡?したお天気キャスターが、書かれていたが、確かこの時期のことを言う言葉らしい。
 ネットで検索しても、「ロシアのことば」と いったことしかわからず、その本当の意味がわからない。
 ここは、蟹マスターさんにでもキーワードを(はてなキーワードを多数製作されている)つくってもらわねばならない。


 2010-02-19

 izai さんから妙なところでお呼びがかかってしまった。「光の春」 という言葉に馴染んだ覚えはないのだが、なんとなくきれいな語感がある。検索してみたら、この言葉を日本に紹介した気象予報士倉嶋厚氏の著書(asin:4805003006)を紹介したページが見つかった。(孫引きにつきご容赦。)

『お天気歳時記〜空の見方と面白さ〜』
著者・倉嶋厚
発行所・株式会社チクマ秀版社
初版・1997年5月8日

「二月の光は誰の目から見てももう確実に強まっており、風は冷たくても晴れた日にはキラキラと光る。厳寒のシベリアでも軒の氷柱から最初の水滴の一雫(ひとしずく)が輝きながら落ちる。
ロシア語でいう「光の春」である。
ヨーロッパでは二月十四日のバレンタインの日から小鳥が交尾を始めると言われてきた。日本でも二月にはスズメもウグイスもキジバトも声変わりして、異性を呼んだり縄張りを宣言する独特の囀(さえず)りを始める。ホルモン腺を刺激して小鳥たちに恋の季節の到来を知らせるのは、風の暖かさではなく光の強まりなのである。俳句歳時記の春の部には「鳥の妻恋」という季語が載っている。

 『気象人』 the mag for kishojin : 気象の本棚

 西洋と日本の季節感について書かれたエッセイのようだが、上の引用文だけ読んでも 「ロシア語でいう「光の春」である。」 という箇所の意味がよくわからない。ロシア語では何というのか、ロシア人なら誰でも知っている慣用表現なのか、それとも歴史や文学に関係するものなのか。

もとのロシア語がなんであるか 私も気になったのでロシア人に聞いてみました。やはり
”весна света”だそうです。
 マーミンカ通信:ロシアの言葉が語源となって (コメント欄)

 ロシア語なんて全く知らないので読み方すらわからないのだが、とりあえずスペルはわかった。そこで今度は ”весна света”をググってみる。すると一番上に、ずばりこの言葉をタイトルにした文学作品が表示される。しかも、無料でダウンロードできるようなので、とりあえずダウンロードしておく。
http://bookz.ru/authors/pri6vin-mihail/prishv12.html
 次は作者の紹介ページ。(このへんから Google 翻訳に頼るので、あてにしないほうがいいです。)
http://www.krugosvet.ru/enc/kultura_i_obrazovanie/literatura/PRISHVIN_MIHAIL_MIHALOVICH.html
 作者はミハイル・ミハイロヴィチ・プリーシュビン(1873-1954)という作家らしい。
先にダウンロードしたテキスト・ファイルをブラウザで開き、文字エンコーディングを 「自動判別 - ロシア語」 に指定すると、文字化けせずに表示されるので、さらにこれを Google 翻訳にかけてみる。

スノーフレーク泊時の電力は何から生まれる:空だった
星空、きれい。

喜びを私の6階に目覚めている。モスクワ覆わレイアウト
星の粉と、山の尾根には虎のようなどこの屋根の上で行った
猫。ってどのくらいの春の小説をクリアします:春の内のすべての光
猫の屋根に登っています。

 あっはっは! さすが Google 様だ。さっぱりわけがわからない。だが、この作品のタイトルがわかった。『春の光』 と表示されているのだ。おそらく、весна が 「春」 で света が 「光」 なのだろう。それから、1938年に出版されたと書かれている。なんだかよくわからないまま読みすすめていくと、少女とか戦争とか重武装とかそんな感じの単語が並んでいる。ライトノベルじゃないんだから、たぶん戦争をテーマにした作品なのだろう。所々に人物のセリフらしき言葉が並んでいるのだが、全体の長さ(数十行)からみて、これは小説ではなく詩なのだろう。
 そして、最後のほうにようやく意味のありそうな文章が出てくる。

私はまさに、モスクワでの光の春のようになる彼らに言われた

 やっと 「光の春」 が出てきた。1938年頃のロシアといえば、スターリンの大粛清が行われ、第二次世界大戦へと向かう暗黒の時代である。しかし、私は希望を捨てはしない。モスクワで光の春になるのだ!――というようなメッセージが籠められているのではないかと勝手に想像しておくことにしよう。
 「光の春」 というフレーズが元々季節感を表す慣用表現だったのか、「プラハの春」(Wikipedia参照) のような政治的な意味を持つ言葉だったのか、そのあたりはわからない。
 ちょっと行き詰まってしまったので、今度は YouTube で検索してみた。
 すると、“весна” という歌がたくさん表示される。全部同じ歌だが、多くのシンガーによってカバーされているようだ。

 上の動画がこの歌で、英語で "Spring" と書かれているから、やっぱり 「春」 である。音楽に使われているシーケンサーが80年代風だが当時のヒット曲なのだろうか。それにしても暗い曲調だ。1980年に開催されたモスクワ・オリンピックの映像が使われているが、政治的な理由からアメリカも日本も不参加だった、なんて話は今の若いひとたちは知らないかもしれない。
 結局、語学力不足のため何がなんだかわからなくなり、これでははてなキーワードを作成しても何も書けない結果となった。しかし、ロシアの人々が長い冬をじっと耐えて、春が来るのを待っている、というようなイメージが、「光の春」 という言葉から感じられるのである。日本的な表現でいうと、「春がきた」 ではなく 「春遠からじ」 に近いニュアンスではないだろうか。


 最初に挙げた izai さんの記事に戻るけれども、冬至から立春までの間、畳みの目一つずつ長くなる日差しのことを 「日脚(ひあし)」 という。立春の前だから冬の季語である。それから、春分を過ぎて少しずつ日が伸びる頃のことを 「日永(ひなが)」 といって、これは春の季語である。寒がりの僕は、断固として春を支持したい。


日脚追ひ寝場所を移す子猫かな


 立春を過ぎてしまったけれど。おそまつ。