森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』
大学生の 《私》 は、クラブの後輩の 《彼女》 に片思いしている。しかし、《私》 には 《彼女》 に直接思いを伝えるような度胸はなく、いつも回りくどいやり方で接近を試みる。
……私が頷くと、彼はニンマリした。「それで、あの子とは何か進展があったの?」
「着実に外堀は埋めている」
「外堀埋めすぎだろ? いつまで埋める気だ。林檎の木を植えて、小屋でも建てて住むつもりか?」
「石橋を叩きすぎて打ち壊すぐらいの慎重さが必要だからな」
「違うね。君は、埋め立てた外堀で暢気に暮してるのが好きなのさ。本丸へ突入して、撃退されるのが恐いからね」
「ひとつの隠喩から次々に同系列の隠喩をくり出し、たとえで話を進める表現形式」*1 を 《諷喩》*2 と呼ぶ。上に引用した会話で、《私》 が回りくどい恋のアプローチを 「外堀は埋めている」 と言い表わしているのが 《隠喩》 であり、それに対して相手が 「いつまで埋める気だ。林檎の木を植えて、小屋でも建てて住むつもりか?」 と返しているのが 《諷喩》 である。
2006年に発表された小説 『夜は短し歩けよ乙女』 は、このような 《隠喩》 や 《諷喩》 があちこちに散りばめられていて、レトリカルな意味で賑やかな作品だ。(《彼女》 を一人称とするパートでは、《直喩》 が多用されているようだが。)
話はそれるが、《諷喩》 は古くは万葉集にも用いられた表現であるにもかかわらず、現実の議論や日常会話ではなかなか通じにくいものである。「男は狼である」 という 《隠喩》 に対して、「狼は子羊を狙っている」 と続けば 《諷喩》 になるわけだが、そこまで書かないと、「狼はレイプなんかしません」 などという屁理屈が返ってくることになる。男を狼に例える古典的な 《隠喩》 は、「狼が襲うのは子羊や兎であって、メスの狼ではない」 という表現上の約束事をふまえなければ成り立たないのである。「パンをよこせ!」と叫ぶ民衆に対して、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」 と答えるのも似たような理屈だろう。*3
上に引用したような 《諷喩》 の続く会話は、小説の中でしか成立しないのかもしれない。だが、「さっさと告白しちまえよ」 と直接に言ってしまったら、身も蓋もなくなってしまう場面なのである。こういうのは、小説ならではの面白さなのだと思う。
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