亀井勝一郎 『島崎藤村論』

 本書は昭和28年に書き下ろし出版された文学評論である。

島崎藤村論」は作品論である。詩、小説、感想、紀行、童話をふくめて、それに卽しながら作家としての獨自性と運命を探らうとしたものである。彼の生涯あるひは私生活には直接ふれなかつた。自傳的作品が多いので、いきほひその面に立ち入らざるをえない場合はあつたが、私はさういふ誘惑を出來るだけ避けようと思つた。私生活まで意味ありげに詮索するのは邪道だらう。ただ作品を通してのみ語らうと心がけた。


 亀井勝一郎島崎藤村論』 後記

 亀井は後記で上のように述べているが、「私生活まで意味ありげに詮索」 というのは明らかに平野謙 『島崎藤村』 を意識したものと思われる。
 決して読みやすい本ではない。抽象的な表現が多く、平野のような分りやすさに欠けている。しかし、本書の魅力は、多くの作品を紹介しながら、それらの著作を 「読んでみたい」 と思わせる点にある。特に、初期の新体詩や小諸時代の短編小説を挙げ、後の大作との関連を考察するくだりは、読んでいて非常に興味をそそられるものがある。
 また、わずか10ページではあるが、昭和16年に亀井が藤村の自宅を訪れたときの模様(談話)が、「訪問記」 という章にまとめられている。

 現代の様々な問題についても感想を伺ひたかつたのであるが、かういふお話の一つ一つがみないい示唆となつてゐるので、私は默つてゐた。言葉のあひまあひまにはきつとした眼差しで私の顔をみるのである。腹の底まで言葉を叩きこまれるやうな嚴しい感じである。やがて話題をかえるやうに柔い調子で近頃考へてをられる一端を話された。
「非常時になりますと、ふだん思ひもかけなかつたことを、ふと考へてみるものでしてね。まあ私など、田山花袋君や多勢の友達と一緒に文學の道を進めようとして來たのですが、其後大衆文學が盛んになりまして、ひろく國民に讀まれるのをみると、ちよつと考へさせられましてね。これはどういふことなんでせうね。」


 亀井勝一郎島崎藤村論』 「歴史と血統」 訪問記

 藤村はなにやら勝手に喋っているだけのような感じだが、彼の人柄が偲ばれるようで、きわめて貴重な記録だと思う。また、この大作家がまさに目の前で、読者に向かって語りかけているような語り口が魅力である。
 文豪島崎藤村に少しだけ近づくことが出来たような気のする、心地よい読書の瞬間であった。

島崎藤村論 (1953年)

島崎藤村論 (1953年)