安部公房 『密会』

 後半、全身の骨が溶けだしてしまう 《溶骨症》 に冒された十三歳の少女が登場する。彼女は病院の警備主任の娘であり、副院長の慰みものにされている。警備主任は副院長の手下らしき男たちに殺され、インポテンツの副院長は死体の下半身を自身の体に接合して、《馬》 となる。
 一方、《男》 は警備主任の後釜に任命されてしまう。少女を車椅子に乗せて、病院の中を逃げまどう 《男》。追う者と追われる者が逆転していく。

……娘に触れると、粉っぽく乾いていた。粘土から形を引出すようなつもりで、つまめる所をつまんでいると、いくぶん人間らしさを取戻して来たような気もした。何かささやいている。声のしているあたりに、耳をよせてみた。
「さわってよ……」
 溶けてしまった骨のまわりに、幾層にも肉や皮がたるみ、どこが股間の襞なのか、もう正確には分らない。ぼくは手に触れる襞という襞をさぐっては、さすりつづけた。娘の呼吸が荒くなり、全身が湿っぽくなって、やがて眠ってしまった。


 安部公房 『密会』

 もう何が何だかさっぱりわからない。登場人物全員が異常であり、セックスにとり憑かれている。《男》 が妻と思しき女と顔を合わせる場面もあるが、もはや確認する意思もない。《男》 と少女は、病院の中の暗いどこかで、じっと死を待ち続ける……。

 『密会』 は病院という現代の迷宮に取り込まれてしまった男の物語である。
 『砂の女』 には、主人公が帰ろうと思えば帰ることの出来る 《日常》 があった。『箱男』 は、箱の外側の世界は 《日常》 そのものであった。しかし、『密会』 には出口がない。病院はどこまで行っても病院でしかないのだ。
 本作を読みなおしてみて、あまりの絶望の深さにあらためて驚いた。『密会』 は安部公房の生み出した最強最悪の悪夢小説なのである。