俳句について考えていること

 最近、当ダイアリーは俳句ブログになりつつあるのですが、僕は俳句に関しては全くの素人です。
 俳句を始めたのは15年前。友人と東北を旅行した際に筆記用具を持ち歩き、移動中にちょこちょこ詠んだのが最初でした。詠み始めたら面白くなってしまい、旅行中に撮った写真の枚数より詠んだ句のほうが多かったのを覚えています。
 しばらくブランクがありましたが、数年前に旧ブログで句会を催したのがきっかけで、俳句を再開しました。パソコンや携帯で詠む俳句は下手くそですが、その時その場所で見た風景をスナップ写真みたいな感覚で切り取ることができて、楽しいものですね。
 さて、俳句の詠み方について、自己流ではありますが、少しずつ僕なりの考え方が出来つつありますので、以下書き出しておきたいと思います。現時点での考えですので、過去の自分とは違いますし、これからも変化していくものだと思ってください。

  • 具体的な風景、情景を切り取るように詠む。
    • 自分の感情を表す言葉は、思い切って省略する。たとえば、「うなぎはおいしい」、「猫はかわいい」などと感じたとき、「おいしい」や「かわいい」は省く。(ただし、「秋寒し」は季語なので省略できない。)
    • 詠んだ風景がフィクション、という場合もあります。でも、自分が経験したことのない全くの想像上の光景を詠むことはできません。
  • 季語なしの句、季語がずれている句は気にしない。
    • 一応、歳時記で季語を調べてはいるのですが、歴史的な季節の区分は実際の季節とずれているため、1か月くらいのずれはどうしてもできてしまいます。たとえば、11月上旬に立冬を迎えますが、東京ではまだ紅葉の時期ではありませんからね。
    • 歳時記に載っていない新語、時事用語なども、勝手に季語扱いするときがある。たとえば、「パン祭り」や「夏カレー」。
  • 歳時記は持ち歩く。
    • 以前は角川文庫の 『今はじめる人のための俳句歳時記』 を使っていたのですが、最近、角川学芸出版の 『合本俳句歳時記』 の iPhone アプリに切り替えました。すごく使いやすいので、もう紙の歳時記には戻れません。
  • 同じような題材の句は使いまわすことがある。
    • 使い回しの効く句は駄作なのだと思いますが、ある句の一部分を書き直してみたらぴったりくる場合がけっこうあるので、お題やフレーズは使いまわしています。
  • 字余りは気にしない。
    • リズム感を優先します。言葉にリズムがあれば、字余りでも良いと思います。(字足らずはリズムを損なうのでいけません。)
  • 動詞は少なめにする。
    • 動詞を二つも三つも用いると、情景ではなく行動の描写になってしまう。そういう効果があっても良いのかもしれないが、なんとなく座りが悪い。
    • 悪い例:「冬の月見て思ひ出し手帳買ふ」→改良後:「霜月や毎年同じ手帳買ふ」
    • 意味が変わってしまうけど、改良後のほうが良い。

 気がついたら、追記したいと思います。