さよなら自由律俳句

 えー、最初に結論を書きます。
 自由律俳句を作るの止めようと思っています。
 2011年夏、 iPhone に歳時記アプリを入れて以来、FacebookTwitter に俳句を書き散らしてきました。そして、今年の春ごろでしたでしょうか、自由律俳句と出会い、種田山頭火や尾崎放哉から又吉直樹まで自由律の句集を読んだり、タイムラインでいろんな人の作品を鑑賞したりしてきました。
 自由律俳句には、五七五の定型俳句にはないものがある――。真っ先にそう感じました。定型俳句になくて、自由律にあるもの――、それは、(実際の字数に関わらず)「速さ」であったり、言葉そのものの持つ「自由度」であったりします。そんな自由律俳句を読むのは非常に楽しかったし、今でも楽しみながら読んでいます。
 しかし、自分で句を作るとなると、これは別物です。
 五七五の定型句を作っているとき、上手い下手、成功失敗にかかわらず、出来たときに自分の中でストンと落ちるものがあります。(うまく言葉で言い表しにくいのですが、韻律とか言葉のリズムといったものに関係すると思っています。)その「ストンと落ちるもの」は、ひょっとしたらクイズやパズルを解いたり、推理小説の犯人が分かったりしたときの気持ちに近いかもしれません。あるいは、心理学でいうカタルシスのようなものなのかもしれません。
 ところが、自由律俳句を作っているとき、「ストン」が感じられないのです。自分の句が言葉足らずの断片になってしまったり、妙に理屈っぽかったりとしか感じられず、納得が行かないというか、気持ち良く詠めないのです。
 他の方の作品を読むときには、こういうのを感じることはなく、おおいに刺激を受けているので、これからも鑑賞は続けていきたいと思っていますが、当面、上のような事情により自由律俳句の作句、投句を中止する所存です。


【今までの自由律俳句作品】
 当ブログにもいくつか自由律作品を残してきたのですが、まとまったエントリになっているのは一つしかありませんでした。
オカルト自由律俳句 - 蟹亭奇譚
 Twitter のタイムラインでも大いに盛り上がったテーマですが、今考えてみると、この路線を続けるのは正直しんどいなあと思います。


【以下私信】
「千本ノック」句会ブログ関係者の皆さまへ
 句会1本目は投句済みです。選句・選評までは参加する予定です。
・自由律集団「アぽろん」の皆さまへ
 自由律俳句の作句、投句をしない場合、会員資格がないのであれば、除名扱いとして下さるようお願いします。また、会員を継続させていただけるのであれば、引き続き皆さんの作品を鑑賞させていただきたいと思っています。