芥川龍之介 『邪宗門』

 『邪宗門』 が収録されている新潮文庫版 『羅生門・鼻』 の巻末注には、『今昔物語』 や 『宇治拾遺物語』 などの元ネタが記されているが、反面、聖書からの引用・転用が全く書かれていないので、少しだけ元ネタ探しをやってみることにしたい。
 まずは十文字の護符を提げた摩利信乃法師が加茂川べりで奇怪な儀式を行う場面。

 そう云う勢いでございますから、日が経(ふ)るに従って、信者になる老若男女も、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水で頭(かしら)を濡(ぬら)すと云う、灌頂(かんちょう)めいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰依(きえ)した明りが立ち兼(か)ねるのだそうでございます。


 芥川龍之介邪宗門』 十二

 これはわかりやすい。洗礼者ヨハネである。

洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。


 マルコによる福音書 第1章4〜5 (新共同訳聖書)

 次はどうか。未完の最終章より、横川の僧都との妖術合戦に勝利した摩利信乃法師が、さらに周囲の僧侶集団を挑発する場面。

その間に摩利信乃法師は、いよいよ誇らしげに胸を反らせて、
「横川(よかわ)の僧都は、今天(あめ)が下に法誉無上の大和尚と承わったが、この法師の眼から見れば、天上皇帝の照覧を昏(くら)まし奉って、妄(みだり)に鬼神を使役する、云おうようない火宅僧じゃ。されば仏菩薩は妖魔の類、釈教は堕獄の業因と申したが、摩利信乃法師一人の誤りか。さもあらばあれ、まだこの上にもわが摩利の法門へ帰依しょうと思立(おぼした)たれずば、元より僧俗の嫌いはない。何人(なんびと)なりともこの場において、天上皇帝の御威徳を目のあたりに試みられい。」と、八方を睨みながら申しました。


 芥川龍之介邪宗門』 三十二

 これは旧約聖書預言者エリヤであろう。
 偶像崇拝を行う邪教バアルを信仰するイスラエルの王アハブは、バアルの預言者を集め、エリヤと対決させる。

 アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。


 列王記上 第18章20〜21 (新共同訳聖書)

 エリヤもまた群衆を挑発しているのだが、このあと神が祭壇に火を放ち、群衆はバアルの預言者を皆殺しにするのである。
 もっと細かい元ネタはたくさんあるのだがいずれも相似し、敵方の反応まで聖書とそっくりなのだ。どちらかというとヨハネのほうが近い気がするのだが、摩利信乃法師=ヨハネだと仮定すると、もう一方の堀川の大殿様はユダヤの王ヘロデ(イエスが生まれた時、町中の嬰児を虐殺した人物)、若殿様はやはりヘロデ王の息子ヘロデ(兄弟の妻を娶った好色な人物)、中御門の御姫様はヘロデヤの娘(サロメ)が、それぞれ当てはまる。それほど無理のない見立てだと思うのだが、いかがであろうか。
 しかし、ここまで考えると、結末がほとんど見えてしまう。芥川がこの小説を完結させなかった理由は定かでないのだが、ひょっとしたら聖書マニアの読者に元ネタを(あるいは結末を)言い当てられたからではなかったか。


 『邪宗門』 は大正7年10〜12月に新聞連載された小説。作者初の長編小説となる予定だったようだが、連載32回目で中断しており未完のままである。なお、本作は同年5月に発表された 『地獄変』 の続編になっていて、語り手の 《私》 と大殿様は共通する登場人物である。