ル=グウィン 『ゲド戦記4 帰還』
- 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,マーガレット・チョドス=アーヴィン,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/02/17
- メディア: 単行本
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- 15年ぶりくらいに再読。5と6は未読。
- 4は2の結末から25年後、そして、3の結末の直後の時代の話になっている。主人公テナーはすでに40歳を過ぎた未亡人で、二人の子供たちは独立している。
- テナーの視点、心理描写が全体の9割を占めていて、過去を回想する場面がやたらと多い。小説としては後日談というよりも、1〜3の物語を1990年代の視点で再解釈しようとしたものだと考えられる。
- ゴントの山奥の農村が舞台のほとんどになっている。農村の風景や生活が詳しく描かれていて、何よりも食べ物の描写が良い感じ。(ゲドが食べ終わった食器を自分で片づけ、皿洗いをするなんて誰が想像しただろうか。)
- フェミニズムに基づいたテナーの述懐が延々と続くところは退屈。ストーリーをぶち壊している。
- テナーもゲドもジョークが下手。作者のユーモア感覚はちょっとずれているのではないか。
- 4から表紙の挿絵画家が変更され、各章の扉絵がなくなっている。
- 口絵の地図の作者も変更されて、島国ゴントの地形がわかりやすく描かれている。
- ゴントにはほとんど平野部がない。パンを焼いたり食べたりする場面が何度も出てくる(小麦粉を貯蔵する場面もある)のだが、この土地では小麦は作れないだろう。他の島々から輸入しているのかもしれないが、山奥のかしの木村まで誰が小麦粉を運び上げているのかわからない。
- 3の最終章で、黄泉の国から帰った呼び出しの長トリオンが病み上がりの姿で登場しているが、4で 「トリオンは黄泉の国から戻ってこなかった」 とレバンネンが語っているのは矛盾。
- ヤード・ポンド法が用いられている。(メートル法は2だけなのか?)
- セックス、暴力、虐待、犯罪、フェミニズムといったシリアスな問題がこれでもかというほど書かれているのだが、結局それらについては何も解決しないままなので、読み終わった後の印象は薄い。
- とにかく長すぎる。ひたすら退屈なストーリーが続くのだけど、結末は逆転サヨナラホームラン級のハッピーエンド。読後感は非常によろしい。